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かつて沖縄市に存在した那覇交通の中部営業所

那覇バスの前身である那覇交通は、かつて沖縄県沖縄市松本に、中部営業所というバス営業所を設置していた。
以前、紹介した「那覇交通新川営業所」よりもさらに短命であり、営業所を起終点とする路線が存在しなかったことから、かなり知名度は低い営業所だったかもしれない。


かつてうるま市石川に営業所が設置されていた

中部営業所の前に・・・。
現在の那覇バスが設置する最北端のバス営業所は、那覇市首里にある石嶺営業所であるが、那覇バスの前身である那覇交通は、かつて現在のうるま市にまで路線を伸ばしており、同市石川(旧・石川市)には石川営業所(石川バスターミナル)を設置していた。

那覇交通の石嶺営業所、石川営業所の位置関係と石川発着路線(3路線)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この石川バスターミナルからは、那覇方面に3路線、合計で1日128本を運行していたが、1997年当時の新聞記事によると、沖縄市の知花以北の利用者数は1台あたり3人程度とかなり少なかったようである。

石川営業所は約700坪(約2300平方メートル)で、40台のバスを収容できるが、スペースとしてはギリギリの状態という。
 (中略)
また石川-知花(沖縄市)間で、1台につきわずか3人しか乗り降りしない、とし「利用頻度が低く、最初から赤字覚悟で走らせることになる」と強調する。
 (中略)
石川営業所からは現在、大山線(24番)、首里線(25番)、安慶名線(26番)の3路線出ており、合わせて128便ある。

那覇交通の営業所移転(石川市)/沖縄-石川線新設も、108便減/背景に赤字路線の撤退(1997年4月20日 沖縄タイムス)

そんな利用状況に加えて、1990年から進められた国道329号の石川バイパスの建設工事に伴い、石川バスターミナルの敷地の一部が道路用地として買収されることになることから、那覇交通は、1990年代前半には沖縄市への移転を検討していたようである。

1993年ごろから沖縄市への移転を検討

沖縄市への移転の検討は1993年ごろには開始されていたようで、沖縄市議会の議事録にその旨の記載がある。1993年12月に那覇交通から沖縄市に打診があったようで、転入先となる沖縄市も協力的だったようである。

それから市内バスの営業所の誘致についてでありますが、これは昨年の12月だったと思うのでありますが、会社のほうから沖縄市に営業所をつくりたいというようなことで、要請がまいっております。そういうようなことで、私ども建設担当の助役を中心にいたしまして、関係部一緒になって是非その誘致を進めていきたというようなことでいま努力をいたしているところでございます。今後ともこれについては是非積極的に進めていきたいというように考えております。

沖縄市議会 1994年(平成6年)第183回定例会-6月29日-5号
(注釈)ここでの「会社」とは、別の発言より「那覇交通」のことである。

一方の転出元となる旧・石川市が、新たな用地提供に動き出したのは、当時の新聞記事によると1996年7月のことである。那覇交通から移転を予定している旨の報告を受けてからの動き出しであろう。

市側は移転の話が持ち上がった時点で同社と接触。土地を提供することを申し出るなど、営業所存続の説得に当たった。平川崇市長は昨年7月、存続を要請。だが同社の移転への意思は固く、説得は不発に終わった。

那覇交通の営業所移転(石川市)/沖縄-石川線新設も、108便減/背景に赤字路線の撤退(1997年4月20日 沖縄タイムス)

石川市の動きが遅かったというよりは、那覇交通の動きがかなり速かったようで、石川市が動き始めた1996年の翌年である1997年4月時点で、沖縄市松本に営業所用地を確保済みで、かつ石川バスターミナルの用地は売却済みであった。

石川市赤崎にある那覇交通石川営業所(バスターミナル)が7月、沖縄市に移転することになった。
 (中略)
銀バス(那覇交通)側の説明によると、同営業所の代替地として既に沖縄市に約3,000平方メートル(約900坪)の敷地を確保した。
 (中略)
市側は移転の話が持ち上がった時点で同社と接触。土地を提供することを申し出るなど、営業所存続の説得に当たった。平川崇市長は昨年7月、存続を要請。だが同社の移転への意思は固く、説得は不発に終わった。
同市長は16日に那覇市にある沖縄総合事務局と同社本社を訪ね、営業所移転を最終確認した。銀バス側は赤字路線であること、道路拡張ですでに民間会社に営業所の土地を売却したことなどを伝え、移転への理解を求めたという。

那覇交通の営業所移転(石川市)/沖縄-石川線新設も、108便減/背景に赤字路線の撤退(1997年4月20日 沖縄タイムス)

1997年7月に中部営業所を開設

このような経緯を経た1997年7月20日に、石川営業所(石川バスターミナル)に代わる新しい営業所として、那覇交通は沖縄市松本に中部営業所を開設した。当時の航空写真を以下に示す。

那覇交通中部営業所 2003/01/16撮影
(国土地理院の空中写真【OK20021X-C2-5】を筆者が加工)

発着路線は、那覇市の那覇バスターミナルまたは那覇空港を起点とし、知花を終点とする下記の2路線であった。
・124番・知花(大山)線
 那覇空港-那覇バスターミナル-城間-伊佐-普天間-コザ-知花
・125番・知花(首里)線
(那覇空港-)那覇バスターミナル-儀保-真栄原-普天間-コザ-知花

石川発着時代は営業所が終点であったが、移転後の中部営業所は終点とはならず、管轄路線は全て知花発着となっており、知花と中部営業所の間は回送運行であった。

125番・知花線の路線図
(出典)「那覇交通 系統番号125知花(首里経由)線(Webアーカイブページ)」を筆者が加工

以下に、中部営業所と想定される回送ルートを示す。なお、この回送ルート上は、琉球バスの62番・中部線などが走っており、同社の営業エリアであった。那覇交通が知花〜中部営業所の区間を営業運転としなかったのは、先に走っていた琉球バスとの競合を避けるためだったのかもしれない。

中部営業所と想定される回送ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

また、当初は、知花から那覇方面への2路線に加えて、知花から石川方面への1路線(知花-石川の路線)も運行される予定だったようだが、これは既存の那覇から石川への2路線(24番・石川線、25番・石川線)を全廃せずに、1日20本を残す方針に変更されたため、実現していない。

那覇交通(銀バス)が申請していた市内赤崎の同社石川営業所の沖縄市への移転がこのほど、認可された。当初計画していた(1)現行の那覇直行120便を廃止(2)知花・石川間の路線(20便)を新設-した上で移転する案は見直され、那覇直行便を20便だけ残すことで決着した。同社は「今月中旬か下旬」をめどに移転する予定だ。

那覇交通 石川営業所移転へ/那覇直行便は一部存続(1997年7月8日 沖縄タイムス)

ただ、1日20本のみ残していた那覇から石川直通の2路線(24番・石川線、25番・石川線)は、中部営業所開設の約1年後である1998年7月30日をもって廃止され、111番・高速バスを除く那覇交通の一般道経由の路線では、知花が最北端の発着地となった。

ちなみに現役時代の中部営業所の写真がtwitterにあげられていたので、ご紹介しておく。後述するが、映っている営業所建物は、2023年6月現在も存在している。

2004年4月に中部営業所は廃止

知花以北の赤字区間を廃止した那覇交通であったが、その約5年後の2003年6月に民事再生法を適用し、事実上倒産しており、これ以後は赤字路線からの撤退が加速していくことになる。
中部営業所が管轄していた2つの知花線についても例外ではなく、2004年1月をもって、他社と全区間で競合する124番・知花線は全区間廃止、125番・知花線も他社との競合区間である普天間-知花間を廃止する方針が出された。この2路線の廃止により、那覇交通としては沖縄市から撤退することとなり、必然的に中部営業所も閉鎖されることとなった。

民事再生手続き中の那覇交通(城間信社長)は7日までに、那覇空港と沖縄市知花を結ぶ124番知花(大山経由)線を2月1日から廃止すると沖縄総合事務局陸運事務所へ届け出た。廃止に伴い、沖縄市にある中部営業所は閉鎖する方針。
同社は再生計画案を今月31日までに那覇地裁に提出することになっており、譲渡先を模索中。譲渡の条件を整えるため、不採算路線の廃止で社のスリム化を図る。
中部営業所を使用するもう一つの125番知花(首里、中城経由)線は、知花から宜野湾市普天間までをなくし、那覇空港-普天間の運行となる。

那覇港津124番線、来月から廃止へ/中部営業所は閉鎖方針(2004年1月8日 沖縄タイムス)

この計画のうち、1月31日をもっての124番・知花線の全廃は予定通り実施された。もう一つの125番・知花線の普天間-知花間の廃止は先延ばしにされたため、中部営業所も1月をもっての廃止は免れた。

民事再生手続き中の那覇交通(城間信社長)の労使は23日、那覇市内で協議し、沖縄市知花と那覇空港を結ぶ125番知花線の路線再編を3月1日まで延期することに合意した。同社は週明けにも沖縄総合事務局に再編延長を届け出る。
 (中略)
124番知花線(大山経由)は昨年末の届け出通り、2月1日から廃止となる。

知花線の再編3月まで延期 那覇交通(2004年1月24日 沖縄タイムス)

一旦は先延ばしにされた再編計画であるが、最終的に2004年4月24日をもって、125番・知花線の普天間-知花間の廃止も実施され、同日をもって中部営業所も廃止となった。営業期間は約7年間という短命であった。

なお、那覇交通の労働組合からは、観光部の営業所として存続させるという案も出ていたようだが、これが実現することは無かった。

同社は2月1日から同路線の発着点となる沖縄市の中部営業所を閉鎖し、普天間―那覇空港の運行とする路線再編を沖縄総合事務局に届け出た。
しかし、同社労組(前船太作委員長)は通勤などの労働条件が悪化すると反対していた。
労組は3月1日以降も同営業所を観光部門拠点として存続させるよう求めている。

知花線の再編3月まで延期 那覇交通(2004年1月24日 沖縄タイムス)

跡地はタクシー会社に

中部営業所の跡地は有限会社ミハマタクシーの本社となっている。Googleのストリートビューに映っている本社社屋の建物は、那覇交通の中部営業所の建物から建て替えられておらず、そのまま使用されているようである。



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