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75番・宜野湾市内線の歴史を調べてみた

かつて沖縄県宜野湾市の市内を一周する「宜野湾市内線」という路線が運行されていた。
系統便号は75番が付与されており、琉球バスによって約16年間運行された。


運行開始は1980年12月

宜野湾市内線の運行開始は、1980年12月3日のことである。

宜野湾市民の以前からの要望であった市内一周バスが3日から運行する。
 (中略)
今回、運行するバス路線は通学および市役所の利用者の便をよくすることに重点を置いているため、当分の間、日曜、祝祭日は運休するという。営業所は普天間の県道30号沿いで同所を起点に野嵩-真栄原-国道58号-県道30号周りとその逆の同所-伊佐-国道58号-国道330号-同所の2つのコースが運行する。運行時間は野嵩周りが午前7時、伊佐周りが午前7時15分で最終出発が午後8時と午後8時15分でそれぞれ13回ずつの運行となっている。

きょうから運行開始/市内一周バス 市民の要望が実現(1980年12月3日 沖縄タイムス)

宜野湾市普天間に新設された普天間駐車場を起点とし、市内を一周して普間に戻ってくる循環路線であった。
時計回りと反時計回りの2ルートが運行され、それぞれ1日13本ずつの運行であった。

当時のルートは以下の通りである。

運行開始当初の75番・宜野湾市内線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

普天間駐車場は、現在のサンエー普天間店の駐車場となっている場所に設置された。
普天間駐車場が存在した1984年10月当時の航空写真を以下に示す。バスが2台ほど停車しているのが確認できる。

1984年当時の琉球バス普天間駐車場 1984/10/31撮影
(国土地理院の空中写真【OK841X-C9A-4】を筆者が加工)

市役所移転により運行を開始

運行開始の理由としては、宜野湾市の市報に以下のように書かれている。

1980(昭和55)年、市役所庁舎が普天間から現在の場所に移転したことや、沖縄国際大学・琉球大学の学生が増加したことなどから、市内におけるバス利用者が増え、市内一周バスの運行を望む声が高まりました。市の要望を受けた琉球バスが、同年12月に宜野湾市内線(路線番号75番)の運行を始めました。

市報ぎのわん 2013年12月号(No.621)p.16

「市役所移転」「大学生の利便性向上」の2つが挙げられているが、大きい理由は前者のようである。

宜野湾市役所は、1979年12月に普天間から野嵩へと移転しているが、移転前の時点でかなりの反対意見があったようである。その理由の1つに、普天間から野嵩に移転することにより、国道58号からは路線バスで直通で行けなくなることから、不便になるというものがあった。

1979年当時のバスルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

市議会としてはこの反対を抑えるために、国道58号から市役所移転先である野嵩地区へ向かう路線バスとして「市内一周バス」の運行を確約することにしたようである。

案の定審議が始まると議論は入口から建設場所に集中し、移転反対の意見が続出しました。内容は①現在地で面積の確保は可能である。②役所の移転は周辺の経済が衰退する③58号線沿いは交通が不便になる、従って新庁舎建設は、現在地か普天間神宮裏若しくは市民駐車場にすべきと主張しました。私はこの問題の解決策は、消去法で行くしかないと判断して、当局に対し、問題ごとに解明して早急に答えを出すよう進言しました。この件に対して当局は①現在地は狭隘で十分な市民サービスを行う面積の確保は不可能②跡地は公共施設等配置した開発を行って活性化を図る③市内一周バスの運行を確約する、普天間神宮と市民駐車場については、米軍と折衝の結果、両方とも基地機能に支障をきたすとの理由で、不可能であることが明確にされました。

宜野湾市議会史 活動編(2006年3月 宜野湾市議会発行)p.42
太字は筆者によるもの

なお1日13本で運行を開始していたが、後に1本増便され1日14本の運行となったようである。

1984年3月31日当時の宜野湾市内一周線
昭和58年度 業務概況(1984年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.29を元に筆者が作成

利用者減少によりマイクロバスが利用されたことも

当初は他の路線同様に大型バスで運行されていた宜野湾市内線であるが、1986年からの一時期は、通常の大型バスからマイクロバスに変更されている。下記の通り、利用者減少が主な要因である。

"市民の足"として親しまれている琉球バスの宜野湾一周線がこのほど、通常の大型バスからマイクロバスに切り替わった。やはり乗客数の減少が最大の理由だが、浦添市内線の廃止の後だけに、「宜野湾も廃止になるのでは」と心配し「このままずっと継続してほしい」と望む市民の声も強い。
 (中略)
両路線とも宜野湾市内の幹線をぐるっと一周するだけに利用度は高い。乗客の中心は朝夕の中・高校生だが、お年寄りも多く、市役所に行く人たちにもかなり利用されている。
だが、5年前に比べて乗客はかなり減少。特に昼間はガラガラの状態が目立つ。
そのうえ、今年4月の宜野湾中学校新設で、それまで同一周線を利用して嘉数中学校に通学していた生徒たちが乗らなくなったのも"打撃"となっている。

このまま継続を/バスの宜野湾一周線 小型化に市民は心配顔(1986年6月7日 沖縄タイムス)

宜野湾市の要望により運行を開始した路線であったが、当初の目的が市役所移転反対派への対応だったためか、年々利用者は減少傾向であったようである。もう1つの運行目的であった琉球大学、沖縄国際大学への通学利用者についての記述がないことから、実際にも利用者はほぼいなかったようである。なお、少なくとも愛知地区から嘉数中学校への通学には使われていたようであるが、1986年4月の宜野湾中学校の開校に伴い、バス通学が不要となったことから、運行の必要性はだいぶ下がったようである。

宜野湾連絡所発着に変更

運行開始当初は普天間駐車場を起終点とする循環路線であったが、1990年4月$${^1}$$~1993年3月$${^2}$$の間に、宜野湾市真志喜に新設された宜野湾連絡所発着に変更されたようである。この宜野湾連絡所は、後の宜野湾出張所で、現在の琉球バス交通宜野湾営業所である。
宜野湾連絡所発着へ変更されたのちのルートを以下に示す。

宜野湾連絡所開設後の75番・宜野湾市内線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

宜野湾連絡所が設置された直後の1993年8月当時の航空写真を以下に示す。なお、この当時の宜野湾連絡所は、宜野湾市内線の1路線のみの管轄だったせいか、航空写真上ではバスが停車している様子は見られない。
また、現在は路線バスが通っていない宜野湾市営球場前~第一大山の間を通るルートとなっており、途中には安座間原と真志喜入口の2つのバス停が設置されていた。

1993年当時の琉球バス宜野湾連絡所 1993/08/03撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C45-7】を筆者が加工)

起点変更後も運行本数は変わらず14本/日が確保されたようである。

1994年3月31日当時の宜野湾市内一周線
平成6年度 業務概況(1994年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.26を元に筆者が作成

廃止は運行開始から16年後の1996年頃

利用者減少に伴い存続が危ぶまれていた宜野湾市内線であるが、1996年3月末時点のバス路線一覧$${^3}$$には記載があり、翌1997年3月末時点のバス路線一覧$${^4}$$には記載がないことから、1996年4月~1997年3月の間に廃止されたと想定される。
なお、1996年3月末時点のバス路線一覧には、75番・宜野湾市内線の記載がある代わりに、現在も運行されている88番・宜野湾線の記載がない。一方で、宜野湾市内線の記載が無くなった翌1997年3月末時点のバス路線一覧には、88番・宜野湾線の記載があることから、75番・宜野湾市内線が廃止される代替として、88番・宜野湾線の運行が開始されたようである。88番・宜野湾線の運行により、真志喜地区から野嵩地区へのバスルートは引き続き確保された。

脚注

  1. 平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.27

  2. 平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.27

  3. 平成8年度 業務概況(1996年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24

  4. 平成9年度 業務概況(1997年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24

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