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61番・前原線の歴史を調べてみた

沖縄バスが運行する61番・前原線は、うるま市の屋慶名バスターミナルを起点とし、浦添市のサンエーパルコシティ前を終点とする路線である。
同じく沖縄バスが運行している、屋慶名と那覇を結ぶ52番・与勝線とは、途中経路がほぼ同じであり、与勝線を浦添止まりにした路線が前原線ということになるが、歴史的には前原線の方が圧倒的に古い路線である。


前原線は1950年時点で運行されていた

1950年当時の沖縄バスのバス路線図$${^1}$$には前原線の記述がある。恐らく沖縄バス設立当初の路線図かと思われるので、設立と同時に運行を開始していたのだろう。
なお、この路線図に記載の区間は、前原線以外も含めてブツ切りとなっているが、路線名が表の一番右側に書いてあることから、恐らく利用者向けではなく、役所向けのモノであり、単に免許区間を記載しているのだと思う。具体には、前原線の区間のうち、渡口〜高原は名護東線【みどり線部】、那覇〜普天間と病院前〜屋慶名は与勝線【青線部】で認可されているので、残りの単独区間である、普天間〜渡口、高原〜病院前(恐らく後の西原診療所前、現在の県営与那城団地入口)にのみ前原線【赤線部】と記述したといった感じであろう。

沖縄バスFacebook 【沖縄バス/アーカイブスVOL.156】~設立当時の路線図☆~を元に筆者が作成
1950年当時の前原線のルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なお勝手に那覇起点として話を進めていたが、翌1951年3月末当時の路線一覧$${^2}$$では、前原線は那覇〜屋慶名間の運行となっていることから、1950年当時も那覇起点であっただろうという想定の元である。

沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.41を元に筆者が作成

1964年までに屋慶名~普天間の路線に変更

運行開始当初は、那覇〜屋慶名間の運行であった前原線であるが、1964年12月末当時のバス路線一覧$${^3}$$では、起点が屋慶名、終点が普天間となっている。1951年〜1964年の間に、那覇〜普天間の区間が廃止されたようだ。

行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.72を元に筆者が作成

さて、終点が普天間と書いたが、1975年11月当時のバス運賃表$${^4}$$によると、正確には、終点は普天間を1つ過ぎた宜野湾市役所前バス停だったようである。宜野湾市役所は、1979年12月に同市の普天間から野嵩に移転しており、ここで言う宜野湾市役所前バス停とは、現在の普天間市場入口になる。
また折り返し待機用として、普天間駐車場が設置されていたようである。1968年~1970年頃の琉球政府の陸運関係資料$${^5}$$によると、所在地は宜野湾市字普天間526であり、宜野湾市地図情報システム(地番情報)と照らし合わせると、現在の沖縄銀行普天間支店の位置となる。1978年当時の住宅地図$${^6}$$にも「沖縄バスKK 回数券発売所」と記載があることから、間違いないと思われる。
なお同じ住宅地図によると、沖縄銀行普天間支店は1978年当時から存在していることから、後に普天間駐車場の敷地に拡張され、現在に至るようである(Googleストリートビューで見てみても、建物が増築された形跡が確認できる)。

普天間駐車場と前原線の運行ルート 1977/11/24撮影
(国土地理院の空中写真【COK771-C53-9】を筆者が加工)

また前述の琉球政府の陸運関係資料$${^5}$$によると、普天間駐車場の開設日は1958年6月11日とあるので、駐車場の開設日の前日である1958年6月10日をもって那覇〜普天間が廃止されたのかもしれない。

1979年に終点が真栄原まで延長

1979年12月には、終点が宜野湾市普天間から国道330号を南進した先の、同市真栄原に延長されている。

1979年12月 前原線終点を宜野湾市普天間から真栄原へ

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.31

これまで普天間にあった宜野湾市役所は、前述のように1979年12月に、普天間より南に位置する野嵩に移転している。新しい宜野湾市役所は延伸区間(普天間~真栄原間)上に位置することから、宜野湾市役所の移転と合わせて、路線も市役所を経由するように南側へ伸ばしたのかもしれない。

真栄原延長後の前原線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なお、折返し場所として真栄原駐車場が設置されていたようだ。1982年当時の住宅地図$${^7}$$によると、嘉数中学校運動場と道路との間に挟まれた細い敷地に設置されていたようである。現在は中古車販売店が立地している。

真栄原駐車場と前原線の運行ルート 1984/11/09撮影
(国土地理院の空中写真【OK841X-C10B-6】を筆者が加工)

1989年に終点が真志喜まで延長

1989年9月11日には、さらに終点を宜野湾市真栄原から同市真志喜に延長されている。当時の新聞記事を以下に抜粋する。

沖縄バス(奥原俊雄社長)は、与那城村・屋慶名バスターミナルから具志川市前原を経由、宜野湾市真栄原間を運行している前原線を国道58号、沖縄コンベンションセンターまで3.9キロ延長。11日から運行を開始する。バスが沖縄の基幹道路を通ることから関係者らは、利用率が高くなることを期待している。
(中略)
延長部分の3.9キロのうち、真栄原から宜野湾高校前までの3.4キロはすでに他の路線も乗り入れている。コンベンションセンター前から真志喜の同社駐車場までの0.5キロが新規免許の部分。

前原線を国道58号まで延長/11日から運行開始(1989年9月10日 沖縄タイムス)

この時の新聞記事に記載の地図を見ると、真志喜駐車場は宜野湾警察署のすぐ裏手に設置されるように描かれているが、現在の真志喜駐車場は、宜野湾高校に隣接しており、立地が異なるようである。よって、延長当時の真志喜駐車場は、現在も存在する真志喜駐車場とは別の位置にあったようだ。

1989年9月当時の真志喜地区での運行ルート
前原線を国道58号まで延長/11日から運行開始(1989年9月10日 沖縄タイムス)を元に筆者が作成

さらに沖縄バス創立60週年記念誌によると、1989年9月に真志喜まで延伸された後、1991年7月に大山新駐車場を開設とあり、さらに1993年12月に終点を大山から真志喜に変更とある。

1989年9月 前原線「61」、終点を真志喜まで延長
1991年7月 大山新駐車場開所
1993年9月 前原線「61」終点大山から真志喜へ

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.39、41

これらを辻褄が合うように整理すると、

  • 1989年に真志喜に新設された真志喜駐車場に路線延長。ここで言う真志喜駐車場は、現在の同名駐車場とは別の位置に設置。

  • 1991年に大山に新設された大山駐車場に終点を変更。

  • 1993年に真志喜に新設された現存する2代目真志喜駐車場に終点を変更。

という感じであろうか。これが正しければ、2回駐車場を移転していることになる。

まず初代真志喜駐車場から。1990年当時の住宅地図$${^8}$$を見てみると、前述の新聞記事の通り、宜野湾警察署裏手に「沖縄バス真志喜駐車場」の記載があった。
1990年10月当時の航空写真を以下に示す。先ほどの住宅地図の位置と照らし合わせると、赤枠で囲んだスペースが初代真志喜駐車場だと思われる。
なお、現在の2代目真志喜駐車場がある位置には、まだ駐車場らしきスペースは造成されていない。

(初代)真志喜駐車場と前原線の運行ルート 1990/10/17撮影
(国土地理院の空中写真【OK901X-C5-17】を筆者が加工)

次に大山駐車場が開設された後の1993年8月当時の航空写真を以下に示す。これも1992年当時の住宅地図$${^9}$$と取らし合わせてみると、赤枠で囲んだスペースが大山駐車場のようだ。現在の宜野湾市営球場前バス停(宜野湾営業所向け)の目の前に位置する。
住所的には「大山」であるため、移転と共に名称も変更したようだ。なおこの当時も、2代目真志喜駐車場は未整備である。

大山駐車場と前原線の運行ルート 1993/08/03撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C45-7】を筆者が加工)

最後に、現在の真志喜駐車場まで延長したあとの2010年9月当時の航空写真を以下に示す。

2代目真志喜駐車場と前原線の運行ルート 2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【COK20101-C6-14】を筆者が加工)

那覇への路線は52番・与勝線として運行開始

その後も那覇市への延長要望はあったようだが、前原線の終点を延長するのではなく、延長した新規路線が新設されることとなった。それが、2000年1月7日より運行を開始した52番・与勝線である。
運行開始当初は、52番・与勝線の那覇発、屋慶名行きの平日朝1本のみが、大謝名から真栄原方面へ右折せず、コンベンションセンターを経由したのちに、真栄原方面へ向かう便が設定されていた(宜野湾高校前~屋慶名バスターミナルは61番・前原線と同経路)。これは、前原線の真志喜駐車場から始発便が屋慶名からの折返しの都合上で9時台と遅くなってしまうことから、那覇発の与勝線で補っていたものだと思われる。

52番・与勝線と61番・前原線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なお、与勝線のコンベンションセンター経由便は、2009年9月27日のダイヤ改正時に廃止されている。

2020年に終点がパルコシティまで延長

2020年10月1日には、終点が宜野湾市真栄原から浦添市のサンエーパルコシティ前に延長となっり、現在の前原線のルートとなっている。延長区間の宜野湾高校前からサンエーパルコシティ間は、ほぼ高架を通行するということもあり、新たにバス停は設置されることは無かった。
なおこの延長に伴い、前原線のために設置された真志喜駐車場は、2006年7月1日に新設された32番・コンベンションセンター線のみが使用する駐車場となった。

サンエーパルコシティ延長後の前原線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

脚注

  1. 沖縄バスFacebook 【沖縄バス/アーカイブスVOL.156】~設立当時の路線図☆~

  2. 沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.41

  3. 行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.72

  4. バス・タクシー・ハイヤー運賃及び粁程表(1975年7月 沖縄観光速報発行)

  5. 陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.159

  6. 宜野湾市・北中城村 [1978] ゼンリンの住宅地図(1978年3月 善隣出版社)

  7. 宜野湾市・北中城村・中城村 [1982] ゼンリンの住宅地図(1982年12月 善隣出版社)

  8. 宜野湾市 [1990] ゼンリンの住宅地図(1990年10月 善隣出版社)

  9. 宜野湾市 [1992] ゼンリンの住宅地図(1992年2月 善隣出版社)


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