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ご遺骨をお迎えして思ったこと
こんばんは〜寒いですねえ☺︎
今回の記事は、ご遺骨収集で、実際にご遺骨や遺留品(戦時中に兵士が身につけていた日用品など)をお迎えすることができた日に書いた日記です。
私が担当させて頂いてた現場(前回の記事の写真)ではご遺骨をお迎えすることはなかったのですが、100人前後のボランティア団体で参加していたので、他の現場で他学生がお迎えしたのを最後にシートの上に綺麗に並べて、みんなで供養してから、慰霊碑に納める大きな袋に入れました。以下その時のことを書いてます。
『ご遺骨や遺留品をブルーシートの上に並べてそれぞれ見ている時、お骨を手に取ってもまだ実感が湧かなくて、でも「70年以上も土の中に眠っていたんだなあ」と思っていました。
でも、ご遺骨を慰霊碑に納める袋に入れるときに「これが最後のお別れだよ」と先輩に言われた途端に、
「人の骨だ」「戦争があってそれで亡くなったからこうしてあるんだ」
と、今までで一番リアルに感じ、自然と涙が溢れてきて我慢するので大変でした。今日までの沖縄戦に関しての勉強で自分がしてきたことや、沖縄に来てからの活動やミーティングで話したこと感じたことが、ここで繋がったと思いました。でもそれが、どういうことかはまだよく分かっていないです。
しかし、あの時「ほっとした」とか「リアルに感じた」「感動した」「すごい」「嬉しい」「悲しい」とか、いろんな感情が一気に込み上げた時の感じを絶対に忘れてはならないし、もっと深くするべきだと思います。
本当に深くて重い気持ちです。
やっと戦争を終え、「安らかに眠ってほしい」と思います。こんな思いをするのはめったにないし、まず現場での活動がなければ感じなかったことです』
ご遺骨というのも、想像しているような綺麗でくっきりな骨ではなくて、本当に木みたいで、土を掘って手で触って目でよくみて判別していきますが、油断していると見落とす可能性もあるようなお骨です。また、70年も経って風化していたりして、頭の先から爪先まで揃った1人ぶんのご遺骨とかでもないです。
ご遺骨収集に参加する上で、間違ってご遺骨を木とか他のものとして見落とさないように、骨の形とかの勉強をしてテストに受かるまでが必須で、大腿骨はきのこみたいな形で〜とか、鎖骨はカーブ状か〜とか勉強してたんですけど、そんなどころではありませんでした。それも衝撃でした。
人が亡くなると、いろんな形がありますが、現代の世間一般でいう形は、綺麗に体やお顔を洗ってもらって化粧もして綺麗な服を着て棺桶に入って、家族や友人や大事な人たちが最期に会いに来てくれて、故人を想ったり、悲しいけど「今までありがとう」とそれぞれが気持ちをもってて、故人が成仏できるようにとお経があげられて、みんながその人のことを想ってお見送りするのが普通なのに、
戦争で亡くなった人たちは、大事な人たちがその人の最期の姿をみることも どのように亡くなったのかも知ることなく、もちろんお骨も形見も還ってくることなく、しかも当時は戦死したらお国のために戦ったと英雄扱いで、バンザイしたりして、まともに悲しむことも感謝することもできなかったし、戦没者は自分の故郷とは遥か遠くの知らない地で亡くなりそのまま70年も陽の当たらない暗くて冷たい土の中にいたと思うと、もう辛すぎて、同じ日本人なのにただ70年生まれてくるのが早かったり遅かったりしただけでこんなにも違う人生なのかと、
自分ではどうすることもできない気持ちになったのを覚えています。
戦争とか平和とか貧困とか、生まれた国や土地や時代が違うだけで人生が決められてしまうようなことは、記事に書いているような70年前の日本での出来事に限らず、今も世界のどこかでそんな理不尽なことが起きていて、どうにかならないのかな、自分はただ偶然こんな平和な環境と時代に生まれただけなのにとか、何か自分にもできることはないのかと考えています。
沖縄戦のことを勉強したりボランティアなどに携わってきて、知ってしまったからには、自分がこのことをいろんな人に伝えたり平和や戦争のことを考える機会をつくったりする責任があるなとずっと感じていました。なのでこうやってブログをつくって発信できているのは自分でも嬉しいです。このことについてはまた書きます!
長くなりました、読んでくださってありがとうございます☺︎
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