見出し画像

No.1218 枝を折ったのは?

私は、4月29日で71歳を迎えます。
 
昔、70歳になった老人は「楢山参り」をしなければいけなかったという伝承があります。小説『楢山節考』(深沢七郎『中央公論』1956年11月号)は、70歳を目前にした老女(おりん)が土地のならわしに従い、息子(辰平)に背負われて楢山に捨てられに行くお話です。民間に伝わった老棄伝説だそうで、貧しい村の口減らしのための因習です。世が世なら、私は、既に捨てられていた年齢です。
 
原点となったものの一つに、950年ごろ成立し、その後増補を重ねたという『大和物語』の156段にこんなお話が収められています。訳してみます。
 
「信濃の国の更科という所に男が住んでいた。若い時に親は死んだので、おばが親のように付き添って世話をしていたが、男の妻が不快に思うことが多く、この姑が年をとって腰が曲がっているのをいつも憎みながら、男におばの意地の悪いことを言い聞かせたので、男は、次第におばをおろそかに扱うことが多くなっていった。
 このおばは、たいそう年をとって腰が折れ曲がり、体が折れ重なるような状態だった。そのこと男の妻は、いっそう厄介に思い、『今までよく死なずにきたことよ』と思い、姑のよくないことを男に何度も言って、
『おばさんを連れてって、深い山に捨てて来てよ。」
と責め立てたので、男は困りはて、『そうしてしまおう』と思うようになっていった。
 月がとても明るい夜、
『おばあさんよ、さあ行こう。寺で有り難い法会をするようだからお見せしよう。』
と男が言うと、おばは、この上なく喜んで背負われた。
 高い山の麓に住んでいたので、その山の遥かに遠くまで入って、下りて来られそうもない所におばを残して、男は逃げてしまった。
『これこれ!』
と、おばは呼びかけたが、男は返事もしないで家に逃げ戻った。男は、妻がおばの悪口を言ったので、腹が立って山に置き去りにしてしまったけれど、長年親のように養いながら一緒に暮らしてきたのでとても悲しく思われた。
 この山の上から月がこの上なく明るく照っているのをじっともの思いにふけりながら眺めて、一晩中寝ることもできず悲しく思われたので、
 わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て
(私は自分の心を慰められないよ。あの更級の姨捨山に照る月を見ると)
と詠んで、再び奥深く山に入っておばを連れ戻して来た。
 それからこの山を姨捨山と言った。慰め難いというのは、このことが理由だったのだ。」
 
ところで、この話に似た別の伝説には「しおり」のことが語られています。老婆は若者に背負われて山深く登っていく途中で、ところどころの木の枝を折ります。若者は、
「自分が生きて帰りたいから、そんな目印を残すのだろう。」
と勘繰ります。ところが、老婆を捨てて山から下る時、男は道に迷ってしまいます。迷ったあげくに見つけたのが、老婆が残しておいた「枝折り」の跡でした。これのお陰で、無事に里に帰り着けたというのです。

「しおり」は「枝折り」を語源とし、「目印」「案内」の意味がこうして生まれたのだと言います。老婆は、自分が助かろうとしたのではなく、自分を捨てに行く若者のために枝を折っていたのでした。道に迷わぬように。

自己犠牲でありながら、そこに「慈愛」と「宥恕」という人間の尊厳を感じるのは、私だけではないと思います。


「秣(まぐさ)負ふ 人を枝折の 夏野哉」
(秣を背負う農夫を道標として、ようやく草深い野をやって来たよ)
 松尾芭蕉『奥の細道』より


※画像は、クリエイター・小木曽一馬さんの「木の枝から滴る水滴」の1葉をかたじけなくしました。若い枝の命が水を得て息をしているようです。お礼申し上げます。