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No.738 老いて子に従いました

「老いては子に従え」
もともとは、中国の儒教や仏典に由来する「三従の教え」だそうで、
「(未婚の)若い時は親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う」
という女子教育の規範とされ、日本でも倣ってきた言葉です。
 
ところが、江戸時代初期のころに、最後の部分だけが独立して使われるようになり、女性よりも男性に対して使われるようになったのは、隠居制度の影響だということです。
 
しかるべき財産権利を家督に譲っての隠居生活は、自由気ままな反面、その生活の中心から退くことを意味します。潤沢に経済力のあった立場の人ならともかく、一般的には贅沢もしかねる生活であったと思われ、後継者にお伺いを立てながら、老いては子に従う生活を余儀なくされたことでしょう。
 
今日でも先のような儒教的な解釈が支配的だとは思いますが、一方で、
「老いてからは判断力が低下し、体も思うように動かなくなってくる。頑固を押し通したり、意固地を張ったりして煙たがられるよりも、子供の言うことに素直に耳を傾け受け入れてみよう。」
とする、家族が安心しながら、豊かで充実した生活を送るための知恵として受け止められているという指摘がありました。ヘーボタン乱打です。

核家族化が進んだ日本ですが、高齢化が進む中、現状認識に敏感な若者の意見をなおざりにはできません。むしろ、歓迎すべき意見も少なくないのではないかと思います。
 
今年生まれた孫を連れて、何年かぶりに娘が帰省してくれました。家庭を持ち母親にもなっても、やりたい仕事を続けている彼女にとって、懐かしの我が家とて例外ではなく、極力無駄を省き、簡便さを求め、不要なものは一掃する意識が前向きに働く様子です。勿論、一つ一つ親の意見を聞いたうえでの処断です。
 
赤ん坊にとっての安全面の優先と、生活導線のスムーズさ、使い勝手の良さという豪華三点がセットになった「生活空間の提案者」という立ち位置から、物申すだけでなく、改善作業を滞りなく推し進めます。
 
気が付けば、台所の棚が整理整頓され、キッチンの上の雑然と置かれた品々が、100円均一グッズで収納され、ケースには粘着テープが張られ、ご丁寧に内訳まで書いています。狭い台所に置かれた玄米や白米の入った袋は通りの妨げにならぬよう並べ替えられ、冷蔵庫前の雑多な品々は、彼女の審査基準により淘汰(?)されました。しかし、今そこに何を置いていたのか、もはや思い出せないくらいです。そんなものたちを後生大事にしていたのだなと思うと、おかしくもあり、いじらしくも(?)あり、若干さびしくもあります。
 
「老いては子に従え」
まさにその通りの展開になりました。
「いつ使ったり、いつ必要になったりするかも知れないから。」
と、捨てられないでいた母親譲りの昭和の貧乏性が粛清されたような気分ですが、嫌な心持ちはありません。かつては、置き物に邪魔されて、イナバウアーのようにしながら開けていた冷蔵庫のドアも、今は普通の体勢で開け閉め出来ます。何だか、清々しい。
 
でも、これって、老いる前に、子供から指摘される前に自分で気づけって話でしょうか?
 
「支度って、おまえ……」
 おしげの声は、ふるえを帯びた。
「旅に出よう、なあ、おっ母」
「じゃおぬしのあては……。いやいや、いうまい。老いては子にしたがえじゃ。百よ、どこへでも連れて行っておくれ」
吉川英治『野槌の百』(十一)の中に「老いては子に従え」の文句が見えます。「百」とは、田無村のおしげの息子・鍛冶屋の百之介のことです。 
 
初出は1932年(昭和7年)の「週刊朝日 夏季特別号」だそうです。小説『野槌の百』は、吉川英治40歳の時の作品です。ネットの「青空文庫」で読むことが出来ました。ご参考まで。

※画像は、クリエイター・ふるりさんの、タイトル「みんなのフォトギャラリー用にイラストをアップします vol.3」をかたじけなくしました。お礼申します。