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No.716 「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」女性


「作家の向田邦子さんは大変な虫嫌いだったそうです。 そのため『虫へん』のつく字も嫌っていましたが、 ただ1つ好きな漢字がありました。 さて、ロマンチックなそれは何という字だったでしょう?」
往年のバラエティ番組「クイズダービー」(1976年~1992年)で出題されたといいうこのクイズの答えは「虹」でした。
 
そうはいうものの、向田邦子は「蛇蝎のごとく」(NHK土曜ドラマ、1981年)というおどろおどろしい虫偏の漢字のドラマも書きました。sono
番組の解説には、
「実直な会社部長が、娘と交際中の中年イラストレーターと対立。最初は“蛇蠍(だかつ=嫌いな生き物の意味)のごとく”憎んでいたはずが、徐々に親しみを抱くようになる。男なら誰しも自分の中に飼っている“一匹の虫”と、現代の家庭が抱える問題をコミカルに描いたホームドラマである。1981年(昭和56年)8月、飛行機事故で亡くなった、作家・向田邦子の書き下ろし作品で、同年1月に放送したドラマである。」
とありました。蛇蝎は、文字通りヘビやサソリのことですが、男性の業について筆にしなければおられなかった作者は、その半年の後に帰らぬ人となってしまったのです。
 
向田邦子は、1929年(昭和4年)11月28日 の生まれです。しかし、1981年(昭和56年)8月22日、取材旅行中の台湾で飛行機墜落事故によって死去しました。享年51。惜しまれてなお余りある彼女の法名は、「芳章院釋清邦大姉」だそうです。また、墓碑には、森繁久彌による 
「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」
の文字が見えます。法名も墓碑銘も見事に向田邦子を言い当てた讃のように思います。
 
数年前になりますが、親切さんから向田邦子『父の詫び状』(再放送、1986年作品)があることを教えてもらい、録画して観ました。
 
ジェームス三木脚本、深町幸男演出です。人の心の機微を描く名手二人が手掛けた作品を、父親役・杉浦直樹、母親役・吉村実子の名演技で泣かせます。BGMの「弦楽とオルガンのためのアダージョ」が、しみじみとした家族の愛情、優しさ、厳しさ、切なさ、苦しさ、やるせなさ、誇り等々を心の奥底深くに染み渡らせます。厳格な日本の家族の原風景がそこにはありました。良くも悪くも、昭和という時代を活写した作品です。
 
その向田邦子の『眠る盃』の中に「あ」という随筆があります。
「しばらくして、また少年に出逢った。
 この日は犬を連れていなかった。『クンタ、大きくなった?』とたずねようとしたら、少年は突然大きな声で
『ベエ!』
と叫び、舌を出して憎ったらしい顔をした。そして小走りに行ってしまった。
 犬は死んだのか貰われて行ったのか、いずれにしても少年のところには居ないのであろう。それからも少年を見かけるが、道の端を、ちょっと拗ねた格好で歩いている。
 子供を持たなかったことを悔やむのは、こういう時である」
 
切れ味鋭いペン先を自在に操って来た向田邦子のように思われますが、「神戸新聞」(2018年6月29日)には
「『こういう時』は、ふとした拍子にやって来るのだと、さりげなく心境をつづっているようであり、胸の奥底にしまっておいた重たい何かを吐き出したかのようでもある。エッセーにはどこか切ない後味がにじむ。」
という鋭い指摘もありました。
 
母としての向田邦子の作品を望んでも叶わぬことですが、60代、70代、80代と、彼女でなくては書けない文章、読めない作品がきっとあったはずです。ますます研ぎ澄まされたであろう彼女のきっぷの良さと切れ味の鋭さのにじむ作品も、目を覚ますことなく永遠の眠りについてしまいました。

生きておられたなら、今日、93歳を迎える筈でした。

※画像は、クリエイター・守屋吉之助🌈Healing artistさんの、タイトル「【お散歩スナップ】2020年6月7日浅草神社にて夫婦狛犬を撮影」をかたじけなくしました。遠慮がちの「あ・うん」が微笑ましく感じられます。お礼申します。