No.1061 知らなかった…。
3泊4日の東京・千葉への修学旅行から帰ってきた生徒に、印象深かった思い出を聞きました。その中の一人の男子生徒が、
「国立科学博物館のハチ公のはく製に感動しました。」
といって目を細めました。へーっ、そんな出会いをしてきたのかと感心しました。
私は若い頃に9年間も東京にいたのに、そんなことも知らず、行ったことも見たこともありませんでした。その反省の意味も含めて、少し調べることにしました。
その犬は、1923年(大正12年)11月10日に秋田県北秋田郡(現、大館市)の斉藤某氏宅で生まれました。他に7頭の兄弟がいたそうです。
翌1924年(大正13年)1月14日、生後50日で秋田犬を飼いたいという東京大学農学部の上野英三郎博士のもとに米俵に入れて送られ、「ハチ」と名付けられたといいます。その名前の由来は「八が末広がりで縁起が良いから」とか、飼い主の上野先生が渋谷の「鉢山という町に住んでいたから」とか、「座った時の足が八文字に似ていたから」などいくつもの説がありましたが、判然とはしていないそうです。
ところが、「ハチ」を飼い始めてわずか1年4ヵ月余りが経った1925年(大正14年)5月21日、上野先生は農学部の教授会後に脳溢血で急逝されたのです。その日も、ハチは同じ飼い犬2頭と一緒にご主人を迎えに渋谷駅まで行っていたといいます。
その後、渋谷から日本橋、日本橋から浅草、浅草から再び渋谷の上野宅へと転々といろんな人々にお世話になったり、迷惑をかけたりしたようですが、ハチを幼少期から可愛がってくれた植木職人の小林某氏宅に預けられ、落ち着いたのは、上野先生が亡くなって2年が経った1927年(昭和2年)の秋ごろだったそうです。
そして、この頃から上野先生が帰宅していた時間に、渋谷駅でハチが頻繁に目撃されるようになったといいます。上野氏は愛犬家で渋谷駅までハチを連れることが多かったそうです。しかし、ご主人との関係は、1年半にも及ばない短い間でしかありませんでした。
それなのに、上野先生の死後も渋谷駅前で主人の帰りを毎日待ち続けたハチの姿がありました。うまく言えませんが、時間の長さではない、密な時間と深い愛情による信頼関係の証でしょうか。東京日日新聞は「忠犬ハチ公」と呼んで、こんな記事を載せています。
面白く愉快なのは、その数日後にこんな訂正記事まで載せていることです。
当時、新聞を読んだ愛犬家たちから「秋田雑種」としたことへの抗議の手紙や電話が多く寄せられ、訂正文まで載せなければならなくなったと見えます。それほどに、秋田犬の忠誠心や、情の厚さがよくわかる「ハチの物語」でした。
11月11日(土)、ハリウッド映画「HACHI 約束の犬」(2009年)がNHKBSプレミアムで放映されました。忠犬ハチ公の日本映画「ハチ公物語」(1987年)のリメイク作品だそうです。大学教授役はリチャード・ギアです。我が家で一人鑑賞しながら、ラストシーンでは、涙を禁じえませんでした。心が浄化される作品でした。
ひょっとして、2023年11月10日が、ハチの誕生から100年目に当たることを念頭に置いての放映だったのでしょうか?そんな事にも気づくことが出来ました。
※画像は、クリエイター・そら<独りごと>さんの、「渋谷駅の銅像のモデル。」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。