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No.499 畏るべき友

親友にもいろいろありますが、「新友」「心友」「信友」「真友」と字をあててみるだけでもいろんな人の顔が思い浮かんできて楽しいものです。これも、私が在職中に大変感動した友のお話です。
 
私の尊敬するその友人は、早朝7時ごろから校内一円を清掃して回ります。薄暗くて寒い冬の朝も、すでに蒸し暑くなっている夏の朝も休みません。雨の翌日に校庭にできた幾つもの小さな水溜まりも、台風や暴風雨で飛び散った無数の木の葉も、時には、捨て去られたり置き忘れられたりしたジュースの紙コップや空き缶も、この友が丹念に片づけてくれているのです。滴り落ちる汗を拭いながら…。
 
毎朝、校門一帯がきれいに掃き清められていることに気づいている人は多かったでしょうが、その献身的な友の事を知っている人は、どれくらいいたでしょう?いや、そんなことを知られる必要無しと、人より早めに家を出てこられ、精を出していたのか知れません。ひどく雨の降らない限り、黙々と清掃を続けて既に3年が経っていました。
 
ある日、何気なくその理由を聞いてみました。すると、
「人とある約束をして、心に決めた事があるんですよ。」
と言いました。その人が誰なのか、どんな約束なのかは語りませんでした。満願成就する日が、一体いつの事になるのかは分かりませんが、一日も休まずに続ける精神力と母校愛あればこその献身に、私は頭が下がりました。
 
私が登校して、一番先に挨拶を交わすのが、その剣豪M先生ですが、生徒達が登校する頃には、すっかり自らの日課を終えています。人に知られぬ事を「善し」として、ひたすら道を励むのです。
「人知らずして慍みず、亦君子ならずや。」
(人が自分の事を分かってくれないからといって不平不満を言わない。何と徳のある人ではないか。)
と『論語』の中で語られていますが、誰にでも出来る事ではない「奉仕の鑑」だと思います。その心も磨いているのでしょうが、私が同僚の彼の事を「畏るべき友」と呼ぶのは、そのためです。
 
これは、その昔「PTA新聞」のコラムに載せていただいたものです。これを書き上げたその日、学校の裏手の山から飛んできた時鳥が一鳴きして、青空に吸い込まれて行ったことを鮮明に覚えています。
 
その後、私は定年退職しました。すると、彼は、年に1回、誕生日の朝6時過ぎに必ずお祝いメールを送ってくれるようになりました。退職してから1度も会えずじまいですが、私の無聊を慰めようとしての心遣いだろうと思います。短いメールとはいえ、一文字一文字に心を感じ、「生きよう」とする気持ちを前に押してくれる有り難い思いやりです。後輩でもある「畏友」は、気持ちよい大きな心の景色を持った人物です。