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No.504 言葉の指にとまりたくなりました

「入学・進級おめでとうございます。春は、『さあもう一回やってみるときだよ』というお知らせの季節です。」

そんな書き出しの保健室だより「Happy Life」(稲沢市立T中学校、令和4年4月7日発行)を見つけました。新学期も早々に保健室から全校の生徒さんたちに「自分の身体を知る月間」としてスケジュールの予告をしたり、家庭への新型コロナ対策への理解・協力を呼び掛けたりする、担当の先生の情熱と細やかな心遣いが見て取れるお便りです。
「春は、
『さあもう一回やってみるときだよ』
というお知らせの季節です」
のフレーズに、生徒さんならずとも心惹かれ、やってみようかなという元気が出てきます。

中山庸子『朝一番、やる気がふくらむ言葉』(三笠書房)には、そんな心の栄養剤ともいえる元気の出る言葉たちが、肩を組むように並んでいます。1ページめくるごとにじっと立ち止まって、その言葉を味わってみたくなるのです。

「幸運は、その日の朝
それを望んだ人の所へ
『ものは試し』とやってくる」
なんて読むと、「そうかもしれないな、ちょっと欲張って生きてみようか!」なんて気持ちになってしまうのです。勝手に命名したくなる「魔女リン庸子」の魔法の言葉にかかってしまいます。

「トラブルが起きた時は
『試されている時』
すべてのトラブルには意味があり
それに気づいた時が
『成長の時』」
と言われると、「なんで俺が…」と拗ねてしまいたくなるようなときでも、自分がちょっと成長できるかもしれないというプラス思考になれるのです。

「今日という日のドラマは
あなた自身が書いた
オリジナルシナリオで進行していきます」
「そんなシナリオあったっけ?」と思ったりもしますが、主役を張って生のドラマの体現者でありたいとも思います。シナリオ通りには行かない人生の悲哀も感じながらも、これこそ世界に一つのオリジナルのシナリオだと胸を張りたくなる時もあるのです。

「不幸は不幸が好き
だからそんなてにはのらないこと
自分を嫌うのはやめ
自分を卑下するのもやめ 
自分の欠点も愛すること」
コンプレックスや被害妄想癖からなかなか解放されない私は、ついつい言霊の餌食になってしまいそうな「呼び込み型人生」を送りがちですが、「いい加減オサラバしろよ」と言いたくなるのです。呼び込むなら「幸せ」ですよね。「今が一番幸せだ」と。

「虚しい時、つまらない時こそが
チャンスをつかめる時
満たされている時は、
チャンスをキャッチする
能力も油断しているから」
擬人化を楽しみ、逆説を愉しみ、ちょっぴり人生経験のエキスを利かせた、鋭く、ほろ苦く、味わい深い言葉の数々にやられてしまいます。魔法の言葉に後押しされて生きています。

「保健室だより」を発行されたT中学校の先生も、そんな思いを共有されたのかも知れません。「この指とまれ」と言っているような言葉たちの魅力に心をまかせながら。