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No.986 ♪曲がって曲がって曲がって、曲がる~?

今日は、私の好きな俳句にお付き合いいただけますか?
江戸時代後期の俳人・小林一茶(1763年~1827年)の句です。
 
孫が帰省してくれた1か月の間、毎朝6時から7時の間に乳母車に乗せて散歩しました。団地内の周回をAコース、明野コメダ珈琲店までの往復をBコース、反対側のベスト電器までの往復をCコース、隣の団地内までの往復をDコース、明野北小学校までの坂道の往復をEコースと勝手に決めて、その日の気分に応じて押し歩きました。
 
数日前にAコースを散歩しました。その日は、無風状態で早朝から既に生暖かく、乳母車を押しているだけなのに、少し汗ばみました。「風がないねー!」と1歳半に話しかけますが、まったく彼の関心事ではなかったようで、シカトされました。
 
道筋を変えようと乳母車を団地内の別の小道に向けたら、急にすうっと気持ちよく優しい風が肌をさすりました。その時、ふと頭に浮かんだのが、あの一茶の句でした。
 
「涼風の曲りくねつて来たりけり」
 
「涼風至」は「すずかぜいたる」とも「りょうふういたる」とも読み、七十二候のひとつで、8月7日から12日頃の5日間を言うそうです。まさに立秋の初めの風でしょうか。
 
その時期の小林一茶の句に、
「涼風に 欠(あくび)序(ついで)の 湯治哉」
  裏店に住居して
「涼風の 曲りくねつて 来たりけり」
の句が1815年(文化12年)の『七番日記』(一茶、52歳)の中に並んで見えます。
 
一茶は、長野県北部の柏原宿(現信濃町)の農家の生まれです。15歳で江戸へ奉公に出され、風も思うように通らない裏店(うらだな=裏通りに面して建てられた粗末な棟割長屋)に住んだそうです。風通しの悪い長屋で、さぞ蒸し暑い夏を過ごしたことでしょう。しかし、そんな彼にも、思い出したかのように力なく風が訪問するのです。涼しいとはいい難いほどの風だったかもしれません。ちょっと寂しい、みじめな生活が思われる句です。そんな状況の自分を客観視し、皮肉めいた句に仕上げたともいえるかもしれません。そんな生活が、一茶にもあったのです。今から200年も前のお話です。
 
私たちの良く知る小林一茶の句は、
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」 
「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」
「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」
「人来たら 蛙となれよ 冷し瓜」 
など、小さなもの、弱きものに向けられるユーモラスで愛情深いものであり、親しみやすさを覚える句です。しかし、その人生も、その歌も、想像を超えたものがあります。
 
かつて、仁の音「410 大きな景色の心温まる一茶の俳句」や「682 もの思う秋」でも少しだけ紹介したことがあります。宜しければ、ご一読たまわりますよう。


※画像は、クリエイター・Tome館長さんの、タイトル「江戸東京博物館」から「江戸の街並み」の1葉をかたじけなくしました。一茶も、こういう大通りから奥に入った裏長屋に住んでいたのでしょうね。お礼を申し上げます。