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No.1190 若いなあ、兄ちゃん!  

もう17年も前の事です。いろは出版から『先生の夢 47都道府県47人の先生の夢』(2007年2月1日)という本が出版され、紹介していただきました。しかし、全国の先生方の文章表記を一律にするために、私の考えたやり方は採用されませんでした。そこで、noteでは、そのことを踏まえて再録させていただきました。昔風に言うなら「物の名」ということでしょうか?

「夢望」
「昭和」から「平成」に改元された年に、【私】は、36歳だった。
田舎教師である私は、「私らしい」生き方【は】何か苦悩していた。
自分を変えるなら元号改正の【今】こそ絶好の機会だと強く感じた。
 
【私】らしい表現方法として、選んだのは「毎日学級通信」だった。
三日坊主【の】私が毎日学級通信を書けるはずがないという負い目。
授業があり、クラスがあり、クラブがあり、校務【分】掌があった。
止められる理由【に】は事欠かなかったし多忙も追い打ちをかけた。
 
しかし、ほんのちょっとの間【合】いと前を見るようになっていた。
10号の次は20号、そして50号が100号にな【っ】ていった。
家庭訪問の時「先生、もう後にはひけませんね」と言っ【た】父親。
「後悔先に立たず」「【生】兵法は怪我の元」「一寸虫にも五分の魂」
いつしか王貞治選手のホームラン大記録の868号を抜【き】去る。
 
クラス担任であった25年のな【か】、15年間毎日通信を書いた。
体調不良の時も出張の時も修学旅行中も、ひ【た】すら書き続けた。
平成元年4月の第1号【が】、平成11年には4000号になった。
その時、初めて「サザエさん」の放映記録到達を私の夢に【し】た。
私の夢は、先駆者達の作っ【た】異業種の大記録に支えられていた。
クラス担任さ【い】ごの年の平成17年3月迄の発行は5776号。
 
私は、こんなこ【と】の出来る人間ではなかった。そう思っていた。
このハードルは、【お】前には、「絶対に無理」「無謀」だと感じた。
で【も】、やってやれないことはないのだと51歳にして気付いた。
どんなにち【っ】ぽけなものでも、続けることで生まれる力や信頼。
「不惑」を通り越し【て】「知天命」の歳になってこの始末である。
そして、「無謀」は「夢望」と同義だったのではな【い】かと思う。
では、今後の「夢望」はいかに?自問自答の日々が続いてい【る】。

『先生の夢 47都道府県47人の先生の夢』参考

今更ながら、読み返してみると
「若いなあ、兄ちゃん!」
と自分自身に声をかけたくなってしまうのです。


※画像は、昨日の大分市内の我が家の近くの桜の1葉です。固かった蕾が、「今を春べ」と顔をのぞかせているものもありました。浮き立つような春の芽が張ろうとしています。