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No.501 時空を超えて迫る、母親和泉式部の哀傷歌

和泉式部は、平安時代の女流歌人です。生没年不詳ですが、10世紀後半から11世紀初めに橘道貞、為尊親王・敦道親王と夫婦・恋愛関係を結び、道貞との間には、
「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」
の歌誕生のエピソードで知られる娘の小式部内侍がいます。

和泉式部は、一条天皇の中宮で藤原道長の娘の彰子に仕え、道長の家司(けいし=家政を司る仕事)であった藤原保昌と再婚し、夫の任地丹後国へ下りました。エピソードは、その間の都での出来事で、小式部内侍をからかったために返り討ちに遭い、一気に男を下げた藤原定頼(四条中納言)とのお話です。

ところが、「百人一首」にも採られた名歌「大江山いく野の…」の作者小式部内侍は、1025年、藤原公成の子・頼仁を出産した際に20代半ばで死去します。臨終を前に、娘は親に先立つ不孝を強く感じ、詫びるように母にこう歌を詠むのです。
「いかにせむいくべきかたもおもほえず親にさきだつ道を知らねば」
(私はもはや生きられそうにありません。親に先立って死ぬという不孝を思うと、どうしたらよいか途方にくれるばかりです)
 
周囲を嘆かせた以上に、母親和泉式部の悲しみの深さが歌に籠められます。
「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるなり子はまさりけり」
(亡くなった娘は、この世に自分の子供たちと母親の私を残して、いったい誰のことをしみじみと思い出しているのだろう。きっと我が子を思う気持ちの方がまさっているのだろう。私もあの子との死別がつらくて、ひたすら思っているのだから。)
先立つ娘を思う遺された母と、我が子より先立つ母としての不憫な娘の思いを忖度して読み込んだ歌でしょう。切なく、胸に深く迫る慟哭です。

「などて君むなしき空に消えにけん淡雪だにもふればふる世に」
(どうしてあなたは虚しい空に消えてしまったのでしょう。こんなにはかない淡雪でさえも消えずに降ってくる、そんな風にどうにか日々を送ってゆくこともできるこの世なのに。)
淡く降る春の雪を見て、はかなく消えていく雪でも自分の前に姿を現すことができるのにと、二度と戻ってこない娘を慕う心を詠むのです。
 
「子は死にてたどり行くらん死出の旅道知れぬとて帰りこよかし」
(我が子は死んでしまったが、「浄土への道が分からないよ」といって帰っておいでなさい。)
言っても詮無いこととは思いながらも、また、理に合わぬ親のエゴだとは思いながらも、その心がしみじみと察せられて、ただただ和泉式部の隣で頭を垂れて静かに佇み、弔意をしめすしかない私です。
 
恋に生きた情熱歌人・和泉式部のイメージが先行しますが、今から、ほぼ1000年前の母親和泉式部の娘への哀傷歌は、人生の悲哀と無情を強く思わせました。