No.269 酒よ、おまえは…。

 「イイねー!」「よっ、日本一!」「何じゃ、そりゃー!」「サイテー!」等々、私たちはその日、その場、その時の出来事に、思わず感情を込めて評言を口にしています。

 同じように、古文の中で「判断」や「評価」を表す形容詞としてよく用いられる言葉に、「よし」・「よろし」・「わろし」・「あし」があります。基本的に、
 「よし」 =良い
 「よろし」=悪くない
 「わろし」=良くない
 「あし」 =悪い
という意味に理解されています。だから、よい方から順位をつけるなら、
 「よし」>「よろし」>「わろし」>「あし」
というふうに評価が下がり、「+のイメージ」→「-のイメージ」へと変化して行きます。そう考えると、「よろし」は決して誉め言葉として用いられているわけでもありませんし、「わろし」が「悪い」と切り捨てられているわけでもありません。どちらも「よし」と「あし」のグレーなゾーンに位置する微妙な言葉です。それだけに使い勝手の良い言葉ともいえます。

 吉田兼好は『徒然草』(117段)の中で「友とするにわろき者」の例を挙げています。兼好の説くそれは、七つあります。(試みに、理由を私的に考えてみました)
 ①「地位が高くて貴い人」(プライドが高く、自慢話等も多く、人を見下げるから?)
 ②「若い人」(主観的で血気にはやり、理性的な振る舞いや思考が滞りがちだから?)
 ③「病気の経験のない強健の人」(頑健を誇示し弱者の気持ちを理解できないから?)
 ④「酒飲み」(下品な言動をしたり、他人への迷惑を顧みたりしようとしないから?)
 ⑤「武勇にはしり功名を目指す武士」(智謀をめぐらし、人を欺いて恥じないから?)
 ⑥「嘘をつく人」(謙虚さや素直さや自己反省がないので、全然信頼できないから?)
 ⑦「欲の深い人」(損得勘定ばかり強く、他者への思いやりや奉仕の心がないから?)
等々がそれです。どれも、一理あるなと想像されるものばかりです。

 特に④「酒飲み」などと指さされて言われると、思わず胸に手を当てたくなる小心者の私です。一体、兼好自身は「飲酒」についてどう考えていたのでしょうか?

 『徒然草』175段には、飲酒(酒飲み)に対する兼好の「異論反論オブジェクション」が、原稿用紙3枚半もの紙幅を割いて鬼のように綴られています。酒嫌いの兼好は、酒の席での醜さを、しつように、つぶさに観察して、実に鋭く、そしてねちっこい筆運びで、活写しています。上戸も下戸も一読三嘆すること請け合いのこの段ですが、学生向けの教科書には採用されないでしょう。是非、読んでいただくことをおススメしたいお年頃の私なのであります。「酒」に対して、江戸の仇を長崎で討つような、兼好の文筆での猛攻撃の世界をお楽しみください。「あし」とせずに、「わろし」と評した点が、彼のお人柄か?

 江戸時代の都々逸(どどいつ)にはこんな句がありました。
 「酒を飲む人花なら蕾 今日も咲け咲け明日も咲け」
 「酒は飲め飲め茶釜で沸かせ 御神酒あがらぬ神はない」
 「論語孟子を読んではみたが 酒を飲むなと書いてない」
 「腹が立つときゃ茶碗で酒を 飲んで暫く寝りゃなほる」
 「酒はほろ酔ひ娘は二八 花は桜の盛りなえ」
 「酒にたはむれ花には浮かれ 書物は質屋の重禁固」

 ほんとうに、酒に負け、酒のせいにする人のほうがよろしくない。
 「酔っ払い 酒よお前は 悪くない」(2018年、シルバー川柳、秀光、66歳)