No.727 同じ話を繰り返す老人の悪い癖でスミマセン

「たまきはる命をあだに聞きしかど君恋ひわぶる年は経にけり」
(命ははかないものだと聞いていましたが、 亡きご主人を慕って悲しむ年月がいつしかこんなにも経ってしまったことですよ。)
 
作品の題名がなかったことから、冒頭がこの歌で始まるので『たまきはる』とか、藤原俊成の娘(健御前)の日記だから『健寿御前日記』(健御前日記)とか、建春門院(平慈子)に仕えた女房の日記だから『建春門院中納言日記』とか呼ばれています。
 
鎌倉時代の初期に藤原俊成の娘(藤原定家の姉)が書いた宮中生活の回想日記です。その中に、私の大好きなお話があります。荒っぽい現代語訳ですが、してみます。
 
「法住寺に住む父親の後白河上皇と母親の建春門院の元から、(ご訪問されていた)高倉天皇が御所へお帰りになられる当日のことです。天皇お付きの内侍が里に下がっていたので、迎えの車を出すはずになっていたのを蔵人が忘れ(車を)差し向けなかったことから(高倉天皇がお帰りになることが出来ず)、上皇と女院のお二人は、たいそう御機嫌を損ねられ、
『あの蔵人を免職させてしまえ!』
と声を荒げておっしゃるのが聞こえてきます。当の蔵人は(緊張のあまり)身体をすくめ、微動だにできず、西の縁にじっと控えていたのは(建春門院中納言の私も間近で見ていて)実に気の毒でしたが、高倉天皇のお言葉に、
『私は、一度も両親に背いたり、言いつけを破ったりしたという記憶はないが、このことで、今回の滞在がもう一日延期され(両親と共に居れ)るようになったことは、礼を申すと伝えよ。』
とおっしゃられたことで、(その場の空気が一変して)おそばにお仕えしていた人々の緊張感も次第にほぐれ、大変嬉しく、有り難く思えました。上皇も、(我が子である高倉天皇のこの言葉に)この上なくいじらしいとお思いになるお顔つきになられ、重ねてのお叱りの言葉を聞かなかったのでしたが、ましてや、みずからこのように有り難いお言葉をいただいた当の蔵人は、どのように思ったことでしょうか。(きっと、大きな感動を受け、髙倉天皇の慈悲深さと、我が身の幸せを感じたことでしょう。)」
 
私が感動するのは、激怒する両親と、失態をして畏まっている蔵人に対する高倉天皇のウィットに富む言葉です。父親の後白河院も、母親の建春門院(平滋子)も我が子の高倉天皇への気配りを怠った蔵人を厳しく責め、立腹している訳です。やらかしてしまった蔵人は、平身低頭し身震いするばかりです。一体、そんな時、私ならどう言ってやれたでしょう?
「両親の仰せのとおりである。蔵人を即刻クビにせよ!」
「父上、母上、間違いは誰にもございます。許してやって下さい。」
「しでかしたことは仕方ない。明日帰るとしよう。二度と間違えぬよう注意せよ。」
「他に御所に帰る方法はあるだろう。すぐに用意せよ。」
くらいの事しか頭に浮かびません。しかも、その一つをチョイスするのは、悩ましさが伴います。
 
ところが、第80代高倉天皇は、誰も想像もしなかった全く違う切り口で両者への優しい気遣いの言葉を述べました。
「蔵人のお前が手配を忘れてくれたおかげで、1日余分に両親と過ごせることになった。有り難い事じゃ、礼を申す。」
 
この言葉を聞いた両親(両院)のお気持ちは、
「なんて嬉しいことを言ってくれる我が子だろう。それに引き換え、私たちは短気に走り過ぎたなあ。」
と反省を含めながら、心遣いの出来る我が子の成長を喜んだのではないでしょうか。
 
一方、失敗をしたのに咎められるどころか礼を言われた蔵人は、自身の首がつながっただけではなく、人として大きい景色の高倉天皇への忠誠を一層強く心に誓ったに事でしょう。そのことは、その座にいた周りの人々の雰囲気でも十分伺い知れます。
 
人生でも職場でも社会の中でも、このように板挟みになる事は少なからずあります。どちらかだけの意見を採るのではなく、どちらにも偏らずに活かせる方法はないものか模索してみようという気にさせられるお話だと思います。初めて読んだ大学での演習の時間に、心から感動し、「古典」を学ぶ面白さを実感した大事な作品、それが、この『建春門院中納言日記』でした。

 さて、この時、高倉天皇は何と14歳だったそうです。今なら中学2年と同年齢です。帝王学を学び、広い視野と先見性をもって思考することを求められたことでしょうが、その心配りには恐れ入るばかりです。
 
その高倉天皇は、その5年後の1180年(治承4年)、息子の安徳天皇(平清盛の孫)に譲位し院政を開始しますが、病に倒れ、満19歳という若さで崩御されました。あの平家が滅亡する壇ノ浦の合戦は、その5年後の事でした。
 
私は、この話を、高倉天皇が我々に残してくれた心の遺産のようにも思っています。時代を超えて問題解決の一つの方法を暗示してくれるお話だと思うのですが、みなさんは、いかが思われましたか?
 
この話は「仁の音」No404「高倉天皇の仁慈」で一度紹介したことがあります。自らを戒める意味で、もう一度書かせていただきました。同じ話を繰り返す「老人力」がみごとに(?)活かされています。

※画像は、クリエイター・ケンゾー@地方移住×通訳ガイドさんの、タイトル「自転車で行く! 【無料で楽しめる京都の紅葉】 前編」をかたじけなくしました。