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No.519 夏の使者来る

「土食って虫食って、しぶーい」
「チュビュ、チリー」 
「チプチェイ・チプチェイジー」
「チュビッ、ジュイー」
「土食って虫食ってしぶーい」
 
5月に入って、そんな「聞きなし」のツバメの声があちこちでしています。ツバメは夏の時期を日本で過ごす渡り鳥で、春になると、フィリピンやベトナム、マレーシア、インドネシアなど東南アジアの国々からはるばる日本へとやって来るそうです。距離にすると、およそ2,000km~5,000kmにもなるといいますから、小さい体にどれだけ大きくて強いエンジンを内蔵した渡り鳥なのかと感心してしまいます。
 
『万葉集』に「燕」が詠まれている歌は、たった一首だそうです。燕はと入れ替わりに、常世(とこよ)からやってくると信じられていました。巻19の大伴家持の歌は、
「燕来 時尓成奴等 鴈之鳴者 本郷思都追 雲隠喧」(万葉仮名)
「燕来る時になりぬと雁がねは国偲ひつつ雲隠り鳴く」(4144番)
(燕がやって来て、雁との交代の時を告げている。雁は北へ向かって、雲から出たり隠れたりしながら、遠くの故郷を思い、鳴き渡っているのだろう。)
越中の国守であった大伴家持は、春にシベリアへ帰る雁を見ながら、自らの故郷である奈良の都への思いも重ねて詠んだのでしょうか。既に「燕」の字があてられています。
 
昔から害虫を食べて農作物を守ってくれる益鳥として、人々に認知されていました。なにせ肉食で、主に昆虫を食べるのですが、その小さな体に似ず大食漢であり、1日に数百匹もの虫を食べるそうです。子育て中のヒナに与えるエサとしてマストな食材であり、ツバメと人が害虫駆除の益鳥として共存共栄を図り、重宝されて来たのです。
 
田舎の実家も、玄関は開けたままにしてツバメを自由に入れました。すると、玄関の裸電球の傘の上に巣をかけるものですから、電球が傾いていました。ツバメの最大の天敵はカラスやネコ、そしてヘビです。卵や雛を食べられないよう、人通りが多くて、わざわざ人目につきやすいところに巣を作ります。人の出入りが多い家は繁栄することから「商売繁盛」のシンボルとしても大切にされてきました。人間との信頼関係の厚い鳥です。
 
ところで、このツバメは、一年前に来たツバメと同じなのでしょうか?そこで生まれたヒナは、翌年も又同じところに戻って来るのでしょうか。
 
ある記事には、こんなことが書かれていました。
「ツバメに足環をつけて調査した結果、 生きている限り親ツバメは次の年もほとんど同じところに戻ってくるということがわかっています。ツバメは、巣をつくる地域を一度決めると、生涯その場所を変えることはありません。
ある商店街で調査をした結果、商店街に戻ってきたツバメは4割程度で、その中でも全く同じ巣に戻ってきた割合は4割にも上ったそうです。また、他のツバメも、同じ商店街には戻らなくても、その近くまでは戻ってきたと見られています。」
 
一方で、こんな報告もありました。
「鳥類や哺乳類では、一般的に生まれた子供は親の居場所から離れた地域に行くことが多いようで、ツバメも例外ではありません。新潟県六日市氏の木下弘さんの調査によると、1978年-1990年の間に足環を付けたヒナ6、135羽のうち、生まれた場所の近くで繁殖したのは210羽(3,4%)で、オスが160羽、メスが50羽でした。」
 
必ずしも飛び立った多くの燕が帰ってくるわけではないようです。しかし、人々が期待して待つ心の声が、再来説に味方するのでしょう。亡き母は、「必ず帰っちくるんじゃ!」とよく言い、翌年にやって来たツバメを大事にしていました。
 
「燕のさへずり宙にこぼれけり」川端茅舎