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No.237 お墨付きを頂いた石頭?

 自分がどんな人間なのかは、存外、自分が思っているよりも他人の見ていることの方が当たっていたりするものです。
 
 在職中の、ある年の5月だったか、クラスの生徒と一緒に「クレペリン検査」を受けました。その検査の説明は、
「簡単な一桁の足し算を1分毎に行を変えながら、休憩をはさみ前半と後半で各15分間ずつ合計30分間行います。全体の計算量(作業量)、1分毎の計算量の変化の仕方(作業曲線)と誤答から、受検者の能力面と性格や行動面の特徴を総合的に測定します。」
というものでした。

 隣り合った乱数の足し算で、下一桁だけを書き込むという単純な作業なのですが、1分ごとに「ハイ、次!」と指示されて次の行に移り、また最初から計算します。これが15回続き、一旦前半戦は終わります。休憩時間を挟んで「では、裏面開始!」の合図で後半戦が始まります。もう頭が爆発しそうになりました。当然、最初は意気込んで調子よく進むのですが、次第に集中力が失われてきたり、飽き飽きしていい加減になったり、計算力が落ちたり、文字が雑になったり、1分間で進む量が違います。その作業曲線を受検者の特質として読み取ろうとする一つの実験科学です。

 まな板の上の鯉となった私に届いた診断結果は、
「要領よく、やることも細かくて気が利くが、もの固きに過ぎて窮屈なところはある」
と赤い色鉛筆で評価が書かれていました。心理学の研究者から初めて「石頭」というお墨付きを頂いた瞬間でした。あれだけやらされて「石頭」とは何事かと思いましたが、そんなトコもナイではナイ…、と弱気になる自分が妙に悲しく思われました。

 その検査診断の数日後、昼食用に買った170円もするカップ麺に、なみなみとお湯を注いだつもりでしたが、湯沸かし器は、なぜか水のままでした。「どうしようか」というよりも、「どうなるのだろうか」の疑問の方が勝ったので、30分程おいてみました。麺はグチャグチャになることもなく、また芯もなく、食べやすい堅さになっていました。ただ、熱がないのでスープが分離しませんでした。運悪く、その日は「天ぷら蕎麦」でした。油の後口の悪さは、想い出したくないレベルにまで達しました。こんな非常事態でも食するに足る麺と粉末スープの開発を願いたくなるのは、恥の上塗りでしょうか?

 結果として、
① 二度と同じ轍は踏まないと固く心に誓ったこと
② 「何でもやってみなはれ、やらなわからしまへんで」と言ったというサントリーの創業者・鳥井信治郎の言葉は名言だったということ
③ お湯を替えない私は、確かに石頭かも知れないということ
が分かりました。恐るべし「クレペリン検査」!