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No.642 「シュウジンカンシ」に思う

昨日、漢字検定4級のプリントに出てきた四字熟語の一つに「シュウジンカンシ」がありました。「衆人環視」とは、「大勢が周囲にいて、見ていること」の意味です。

ふと、ふた昔以上も前にテレビで見た未開の民族のドキュメンタリー番組の一場面が、思い起こされました。それは、妻が小屋で分娩する間、一族の男たちは車座になって夫を取り囲み、汗をかきながら右に左にのたうち回って苦しむ夫の姿をじっと見守り続ける画像でした。

「衆人環視の中で、夫は妻の苦しみを分け合うのです…」
という男性のナレーションの声が今も耳に残っています。それは、東南アジアの未開の部族の風俗習慣を紹介したものでした。不思議を通り越して、異様な儀式に見えました。

後に、それは「擬娩」(ぎべん)というのだと知りました。「男子産褥」とも言われるそうで、妻の産褥時に夫も同様の行動をまねる風習を言うそうです。意外にも、南アジア、インドネシア、メラネシア、インド、中国、北アメリカ、南アメリカ、アフリカ等の民族の間で行われたといいます。世界のあちこちに見られる風習のようです。

「文化人類学の父」と称されるイギリス人のエドワード・バーネット・タイラー(1832年~1917年)という人類学者が命名したといわれます。19世紀には、オセアニアのニコバル諸島、モルッカ諸島、ヨーロッパのピレネー山脈のバスク族にも見られたと百科事典にありました。医療や清潔さが担保されにくい社会での風習のようです。

これは夫が模擬体験することで妻の分娩の無事を祈り、また妻の生理的苦痛を分け合うことで生れ来る子供の父親であることを周囲に知らしめる意味を持つのだそうです。さらに、分娩に障ったり妨げたりする悪霊を夫が自分に振り替えることで妻の安産を保障するという呪術的な効果も期待されるという説明でした。

単に未開というだけではなく、出産の難しさや尊さから、自然発生的に生まれた危機回避の祈り・呪術的信仰心の表れでしょうか。私には、純朴で深い愛情に根差した行為のように思われました。

では、日本ではどうだったのだろうと疑問がわきましたが、
「日本でも男のつわりといって、妻のつわりのときに夫がつわりの状態を呈することがあるが、風習としての擬娩とは関係がない。」
と百科事典には説明されていました。
 
「粕汁に衆人環視の中に酔ふ」
(猿橋統流子)
こんな衆人環視なら、喜んで…。

※画像は、クリエイター・Tome館長さんの「江戸時代の産婆」を掲げさせていただきました。お礼申します。