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No.1275 思い出させてくれて、有り難う!

連ドラ「虎に翼」で、寅子の母・猪爪はるが心臓の病で亡くなりました。ドラマでは1949年(昭和24年)のことでした。実在のモデルである三淵嘉子さんの実の母親・武藤ノブさんは、1947年(昭和22年)、55歳の時に脳溢血で亡くなられたそうです。

母親の最期のシーンを見ると、やはり自分の母親のことがダブって見えて悲しみが増します。「虎に翼」のはるさんは、苦しさに耐えながらも、娘たちとの最後のお別れの言葉が交わせていました。

はる「机の真ん中の抽斗にね、今年の日記が入っています。それに、私が死んだ後のことは、大体書いてあります。それ以外の日記は、全部燃やしてちょうだい。」
寅子「え、燃やす?どうして?」
はる「それは、恥ずかしいです。絶対にお願いね!」
はる「写真を持ってきてちょうだい!」
(家族写真をじっと見つめた後)
はる「これでいい、これで。」
・・・・・・・・・・・・・
はる「寅子、花江さん。お母さんはね、何にも悔いはないの。いろんなことがあった人生だったけど、悔いは何一つない。この家のことは、二人になら任せられる。先のことは、よろしくね。」
寅子「嫌だー!」
はる「寅子、ハイと言いなさい、ハイと。」
はる「(大泣きする寅子に、小さな声で)だい・じょう・ぶ。」

わが母・はる(晴子)さんは、2013年(平成25年)12月に85歳で病没しました。父が早く逝った分、母には長生きして貰えたことを本当にありがたく思っています。ただ、残念ながら、最後の方は何日間か昏睡状態が続き、一言も言葉を交わすことは出来ませんでした。母は、どんな言葉を子供や孫たちに掛けたかったのか、どんな風に人生をとらえていたのか、誰かに何かを伝えたかったのではあるまいかとずっと思っていました。

しかし、昨日の寅子の母・はるさんの言葉にわが母の思いも代弁してくれていたのではないかなと想像(妄想?)している自分に気付きました。何一つ語れないまま弥陀の元に帰って行きましたが、子どものように声をあげて泣いていた、いい年をした我々3人兄妹の子ども達の声を聴きながら、母も同じ思いではなかったかと想像しました。

四十代後半で夫を失ったときには、奈落の底に突き落とされた思いだったことでしょう。しかし、義父母を見送り、3人の子ども達を片付けました。残された者たちがいたから、母は父の後を追うことが出来なかったのだろうと思います。そして、それが自分に与えられた運命だと受け容れた母だったからこそ、孫にもひ孫に出逢い、愛されたのだと思います。

母が悔いを残し、人や人生の遺恨を口にしていたら、私たちは重いものを背負いながら生きてゆかねばならなかったことでしょう。寅子の母の「何一つ悔いはない。」の一言に、救われたのは子ども達だったと思います。それは、これからを生きる寅子たちへの母・はるの遺した最後の「愛」だったのではないかと思いました。

昨日の「虎と翼」〈第12週(59)家に女房なきは火のない炉のごとし?〉を観ながら、臨終の床にあった母のことがしみじみと思い出され、こみ上げてきて困りました。困りましたが、
「思い出させてくれて有り難う!」
と、お礼が言いたくもなりました。


※画像は、クリエイター・Rさんの、タイトル「上見れば、カラフル。」の1葉をかたじけなくしました。「梅雨の時期は下ばかり見てしまいがち。梅雨でも自然と上を向く方法をテーマにしました。」という説明もあり、とてもゆかしく思いました。お礼を申し上げます。