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No.729 「や」で贈り、「ぞ」で応えたその歌は?

「目端が利く」こんなお話はいかがでしょう。1252年(建長4年)に成立した鎌倉時代の説話集『十訓抄』にある、機を見るに敏なお話です。
 
「成範(しげのり)卿、事ありて、召し返されて、内裏に参ぜられたりけるに、昔は女房の入り立ちなりし人の、今はさもあらざりければ、女房の中より、昔を思ひ出でて、
『雲の上はありし昔に変はらねど見し玉垂れのうちや恋しき』
と詠み出だしたりけるを、返事せむとて、灯籠の際に寄りけるほどに、小松大臣(こまつのおとど)の参り給ひければ、急ぎ立ち退くとて灯籠の火のかきあげの木の端にて、『や』文字を消ちて、そばに『ぞ』文字を書きて、御簾のうちへさし入れて、出でられにけり。女房取りて見るに、『ぞ』文字一つにて返しをせられたりける、ありがたかりけり。」
 
意訳をすれば、次のようなお話のようです。
「平治の乱(1159年)で一族が敗れ、下野国(栃木県)に流罪になっていた藤原成範卿は、(早くも、その翌年に)許されて都に戻ってきました。流される前は、台盤所と言う女房の詰め所にも入ることが許された成範卿でしたが、いまはそうではありません。あるとき女房が、
『雲の上は ありし昔に 変はらねど 見し玉垂れの うちや恋しき』
(宮中は変わっておりませんが、あなた様が、かつて入ることが許されていた御簾の中が恋しくはありませんか。)
と失意の成範卿を気遣う歌を詠んで来ました。返事をしようとしたところ、時の権力者であった小松大臣(平重盛)がいらっしゃいました。身分の低い成範卿はその場には似つかわしくないので、早くその場から離れなければなりません。しかし、気にかけてくれた女房の歌に返事はしたい。一首を詠んでいる時間がなかったので、成範卿は機転を利かせて、女房から詠まれた歌の一文字だけをさっと書き換えて返歌としました。
『雲の上は ありし昔に 変はらねど 見し玉垂れの うちぞ恋しき』
(宮中は、昔と少しも変わりませんが、あの頃に見た玉垂れの中が恋しいことです。)
と返事をしたのです。とっさに歌の一文字「や」を「ぞ」とだけ変えて返歌とした成範卿の機転のよさは、めったにないほどすばらしいものでした。」
 
たった一文字を書き換えることで真意を伝えられる、藤原成範(しげのり)という男の如才ない振る舞いと巧みな発想に「ほ」の字の私です。助詞「ぞ」のお手柄とも言えそうです。

「じょし」は大事にすべきという二重の教えでしょうか?

※画像は、クリエイター・ムラサキさんの、タイトル「横浜人形の家「後藤由香子追悼展」に行きました。」をかたじけなくしました。物語世界が浮き出てきそうです。お礼を申します。