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No.809 〇〇ちゃんに、おススメのこの一冊!

昨夜は7時過ぎに愛犬チョコと散歩に出ました。すると、西の空にひと際輝く金星を追いかけるように木星が近づいているのが見えました。天文情報によると、
「2023年3月2日には望遠鏡ですら2つの惑星が同時に見られるほど接近します。」
とありました。天気さえよければ、天体ショーが見られそうです。
 
私は、兄弟のように寄り添って光を放つこの二つの星を見ながら、小川国夫(1927年~2008年)の掌編小説「物と心」(昭和41年)の話を思い出していました。
 
「兄の宗一といっしょに、浩は駅の貨車積みのホームへ行き、鉄のスクラップの山をあさって、一本ずつ古い小刀を拾った。二本ともさびきっていたので、家へ戻って、二人は砥石を並べて我を忘れて研いだ。時々刃に水を掛けて指でぬぐい、研げた具合を見るのが楽しみだった。浩の小刀はよく光り、刃先へ向かって傾斜している面には、唇が映った。宗一の小刀は、その面の縁だけが環状に光っていて、中央にはさびたままの、くぼんだ部分を残していた。
 浩は、自分は丸刃にしてしまったが、兄さんは平らに研いだ、と思った。浩は自分が時間を浪費して、しかも、取り返しがつかないことをしてしまったように思い、周到だった兄をうらやんだ。浩は心の動揺を隠そうとして、黙ってまた砥石に向かった。横にいる宗一が意識されてならなかった。彼が横にいるだけで浩は牽制されてしまい、自然と負けていくように思えた。しかし浩は並んで研いだ。宗一がどんなふうに研ぐか気になったからだ。宗一はやっていることにふけっていた。浩は自分もふけっているように見せ掛けた。浩には時間が長く感じられた。自分が人をこんな思いにすることがあるのだろうか、と彼は思った。
 浩は自分の小刀で手のひらを切って、宗一に見せるようにした。宗一はそれに気付き、目を上げて浩を見た。浩は自分から宗一の視線の前へ出て行った気がした。宗一をだました自信はなかった。宗一は研いでいた小刀を浩に差し出して、
――これをやらあ、と言った。そして今まで浩が研いでいた小刀を、研ぎ始めた。
――けがはどうしっか、と浩は聞いた。彼はもううその後始末の仕方を、宗一に求めている気持ちになっていた。
――けがか、ポンプで洗って、手ぬぐいで押さえていよ、と宗一は言った。
――……。
――おまえんのも切れるようにしてやるんて、痛くても我慢して待っていよ。
浩はポンプを片手で押して、傷に水を掛けた。血は次から次へと出てきて、水に混じってコンクリートの枠の中へ落ち、彼に魚屋の流し場を思わせた。彼はその流れ具合を見て、これがぼくの気持ちだ、どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう、と思った。宗一は巧みに力を込めて研いでいた。浩はその砥石が、規則正しく前後に揺れているのを見守っていた。すべてが宗一に調子を合わせて進んでいた。」
 
もう弟の心理描写に惚れ惚れしてしまいます。私にも兄が1人いますが、「適わないな」と思ったことは1度や2度ではありません。それだけに、浩の気持ちが直に伝わって来ます。
 
「彼が横にいるだけで浩は牽制されてしまい、自然と負けていくように思えた。」
と、弟の浩は勝手に兄の宗一に対抗心や競争心を抱いて心を乱すのですが、兄はそんな浩のことは眼中になく無心にナイフを研ぐのです。心は手先に伝わって刃の鋭さを生み出します。
 
浩は、わざと手を切って兄の注意を引くのですが、宗一は弟の気持ちを見透かしたように、
「これをやらあ」
「おまえんのも切れるようにしてやるんて、痛くても我慢して待っていよ。」
短いけれども、要点をついた兄宗一の言葉に、浩だけでなく私まで委縮してしまいそうです。浩は、この上なく惨めだったと思います。痛んだのは、手のひらの傷だけではなかったことでしょう。
 
そんなことを思い出しながら西の夜空に輝く金星と木星を見ていたからか、兄のような金星は輝きを放ち、弟のような木星の光は鈍く見えました。
 
さて、昭和30年代に子どもだった私たちは、ナイフを持ってよく野山で遊びました。そして、木や竹を削っては輪ゴムを使っていろんな玩具を作りました。おかげで、今もナイフで鉛筆を削ったり、果物の皮をむいたりするのは得意技の一つです。

そんな私たちの子供時代の暮らしや遊びを彷彿とさせてくれる本があります。絵入りの解説がこれまた楽しい。あるある!あったあった!ハンカチ、いや手ぬぐい必至です。自然と子ども時代にタイムトラベルしてしまいます。「~ちゃん!」と呼ばれていた自分に気づきながら、昭和の匂いまで感じさせてくれる、私のおススメの本です。その世界に遊んでください。
『父さんの小さかったとき』(塩野米松著・松岡達英絵、1988年、福音館書店)
『母さんの小さかったとき』(越智登代子著・ながたはるみ絵、1988年、福音館書店)
 
「ラムネ玉少年の海青かりき」
 中野弘


※画像は、クリエイター・小俣 緑(midori_komata)さんの、タイトル「2019年 初春、仲冬、小寒。」の金星と木星の天体ショーをかたじけなくしました。お礼申し上げます。