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No.863 おみかぎりです!

お肉は好きですか?召し上がりますか?
 
天武4年(675年)4月17日、日本に最初の肉食禁止令が発布されたそうです。『日本書紀』巻第二十九(天武天皇紀・下に)は次のように記されています。(原文は漢文)
 
【本文】…庚寅(かのえとら)に、諸國に詔して曰はく、「今より以後、諸(もろもろ)の漁獵者(すなどりかりするひと)を制(いさ)めて、檻(をり)穽(ししあな)を造り、機槍(ふみはなち)の等(ごと)き類を施(お)くこと莫(まな)。亦(また)四月の朔(つひたちのひ)より以後、九月三十日より以前(さき)に、比彌沙伎理(ひみさきり)・梁(やな)を置くこと莫。且(また)牛・馬・犬・猨(さる)・鷄の宍(しし)を食ふこと莫。以外(そのほか)は禁(いさめ)の例(かぎり)に在らず。若(も)し犯すこと有らば罪(つみ)せむ」とのたまふ。 
<注>「莫(まな)」は、「莫(なか)れ」の意味です。
 
その内容を要約すれば、
①今後は、いくつかの定めた方法による狩猟・捕獲を禁ずる。
②4月1日から9月30日までの間に特別の方法で漁することを禁ずる。
③牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べることを禁ずる。
④その他の漁猟や肉食は禁じない。
⑤定めを犯した者は処罰する。
ということでしょう。
 
538年の仏教伝来の後、動物の殺生を禁じる思想の影響があったと言われますが、それ以上に、農耕生活が定着し、労働力となる家畜や栄養価の高い卵を産む鶏などは特に大事にされたことだろうと思います。古記録によれば、昔は犬や猿の肉まで食していたそうですから、「犬猿の仲」などとケンカしている場合ではなかったでしょう。
 
江戸時代後期の1832年(天保3年)の『鯨肉調味方』(げいにくちょうみほう)は、国学者・小山田与清(おやまだともきよ)の著になる鯨のすべての部位の食味と調理法を書いた本だそうです。その中に、
【本文】…「鋤焼とは、鋤のよく擦れて鮮明なるを、熾火の上に置きわたし、それに切肉をのせて焼くをいふ。鋤に限らず、鉄器のよくすれて鮮明なるを用ふべし」
とあるために、「すきやき」とは鋤の上で焼いたという説が有力とされています。
 
西洋化を推し進める明治政府は、肉食を推奨するために明治4年(1871年)12月17日に禁を解き、天皇自らが率先して肉を食べたといいます。天武4年(675年)の肉食禁止令から明治まで、実に1200年もの間、日本では肉食を忌み、敬遠する文化が表向きは続いていたことになります。
 
その後、農耕用の命綱とされてきた牛馬は農耕機械にとって代わりました。肥育農家や業者にとって、狂牛病などという大きな試練を乗り越えながら、もっぱら畜産牛馬として肉質を向上させ、日本のみならず世界中のひとびとにその魅力を伝えるまでになりました。
 
そういえば、金田一春彦氏の本に「牛鍋」のこんな話がありました。
ある会社の社長さんが、熊本から上京して来た青年らに、牛肉を食べさせてあげようと、牛鍋のお店に連れていってあげたそうです。熊本は、馬肉で有名です。ところが、
「いい牛だろう?」
と聞くたびに、彼らは
「うまかー!」
と言うのです。「馬かー!」と聞き間違えた社長さん、
「馬鹿、牛だよ!」
というと、
「どうりで、うまか!」
あるある勘違いなのですが、お国柄も絡んで、なかなか面白おかしくできています。

ああ、何だか「うまか牛」が食べたくなりました。
大分には豊後牛なる高級肉がありますが、我が家には、とん(豚?)とお見限りです。


※画像は、クリエイター・オゼキカナコさんの、タイトル「お年玉をもらう94歳」をかたじけなくしました。なんてステキなお年玉の1葉でshow!お礼申し上げます。