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No.496 そこには、ビタミン愛(古いか!)がありました。

高校の同僚の1年4組のW先生が結婚され、愛妻弁当のお披露目となりました。職員室内のY先生を取り巻く面々が、「どら、どら」と面白半分に弁当のご開陳を催促するのです。新婚さんへの冷やかしと羨ましさの籠められた「弁当のぞきアルアル」です。君たちゃ、子どもか?

そうは思いつつも、知らんぷりできないのが私の長所、そっと主役の傍に立ちました。何と言っても、二重の弁当であるところがスゴイ。思わず二度見してしまいました。

一のお重には、煮物、焼き物、揚げ物、野菜、果物などなど7種ものお惣菜が、目も潰れよとばかりに色鮮やかなお花畑よろしく盛り付けられています。総菜を仕切る緑色のバランも、我が弁当のシルバーなアルミカップとは一味違った演出です。そして、二のお重には、紫蘇を混ぜたゆかり御飯が上品によそってあり、奥方の人柄がうかがわれました。卵焼きほどもある厚みを感じる愛の形は、食欲をそそる系の若者向き弁当です。

その手間ひまをかけた見事な弁当に、思いっきり目がくぎ付けになった私でした。弁当王子は、数人のギャラリーたちに取り囲まれ「嬉し恥ずかし」そうな笑顔を浮かべながら、ゆっくり、じっくり味わっておりました。お弁当は、午後からの仕事をする上で活力の源です。そこに愛情が加わって、やる気は倍増することでしょう。

もともと弁当は、中国の南宋時代(12世紀~13世紀)の言葉であるらしく、「都合が好い」とか「便利なこと」を意味する「便当」が語源だそうです。その「便当」が日本に入り、「便道」「弁道」の漢字も当てられた由ですが、「弁(そな)えて、用に当てる」ことから、「弁当」とされ、弁当箱の意味として使われたとありました。織田信長由来の弁当説もあるようですが、やはり、中国からの影響と考える方が穏やかな解釈だろうと思います。
 
 その昔、私が学級担任をしていた時の家庭訪問でのことです。ある生徒のお母さんが、
「私は、この子が持ち帰った空の弁当を受け取る時が、一番幸せなんです。振ったら、カラカラと音がするでしょ?ああ、ちゃんと食べてくれたんだな、調子がいいんだな、今日も頑張ってくれたんだなと、その音で確かめるんです。」
と言ったことが忘れられません。
 
先天性の病気で、幼い頃に何度か手術を余儀なくされ、小学校の頃にも入退院を繰り返し、小さい頃は病院が自分の家だと思いこんでいたという彼は、中学校も休みがちだったと言います。ところが、環境の変化は、心の変化も誘引するのでしょうか。高校に入った途端に、皆勤し続けました。勿論、走るだけの運動で唇の色が変わるので、体育は常に見学でした。それでも、環境が変わって意欲が生まれ、お母さんの愛情弁当の後押しをいただき、クラスメイトに恵まれたことで、今まで体験したことのない化学変化が彼の中で起きたのでしょう。
 
その彼は、別人のように毎日登校し、学生生活を楽しみ、旧友と交わりました。茶目っ気があり、明るいジョークで周りを笑わせ和やかにする性格の持ち主でした。自ら進路を決め、推薦入試の面接試験で大学の先生方に気に入られて合格し、大学進学を果たしました。高校入学以前の彼を知る誰もが、「奇跡」と言いました。そして、お母さんにとっての「幸せな三年間」が、「弁当」に象徴されるように思いました。
 
私と同い年のそのお母さんでしたが、一昨年67歳で幽冥境を異にしました。