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No.1312 心とらわれ、執心す

今から400年以上も前の韓国の名医ホ・ジュン(許浚 1539年~1615年)の話をドラマ化した「ホジュン 宮廷医官への道」(チョン・グァンリョル主演・全66話・1999年~2000年)は、韓国ドラマ史上、63.7%という空前の視聴率を残したそうです。怪物ドラマ?
「アジア各国でチャングム人気を越えるホジュン中毒者が続出!」
という触れ込みもありましたが、ここにも中毒者が一人います。
 
先日の「ホジュン」(54話 宮廷の光と影)の中で、ホ・ジュンは恭嬪(コンビン)の宮医に任命され、一方、ホジュンを目の敵とするドジは、仁嬪(インビン)の宮医にそれぞれ任命されました。そのうちに仁嬪は王の子を身ごもって勢いづくのに対し、恭嬪は王から忘れられたかのように振る舞われ、寂しく日々を過ごしていました。
 
恭嬪は、惨めな思いに打ちひしがれながらも、自分の人生を振り返り、自分が手にしてきた富や名誉、そして幸福の絶頂にあったことのはかなさを痛感します。さらに、重い病で倒れて以来、心労が重なり、日に日に病状が悪化していきます。自分の寿命の短いことを察知した恭嬪は、温泉地への療養に子供たち二人を連れ、ホ・ジュンも同行させました。
 
この時、恭嬪は「真心痛」(心筋梗塞)に罹っており、自ら死期が迫っていることに気付いていました。そこで、二人の王子のことを託し、時を惜しむように、しみじみとホジュンに語るのです。
「人は定めに生きるもの。あらがおうと藻掻けばもがくほど、醜くなるものです。」
「苦しみの始まりは執着なのです。欲を捨てれば楽になれるのです。」
 
そのホジュンより400年前、京都日野の方丈の庵で随筆を綴った鴨長明は、最終章で
「仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。」
(仏の教え給うところを聞けば、大切なのは、何事につけても「執着心を持つな」という事である。)
と、ちょっと格好いい言葉を残しています。ところが、彼は、隠棲の後も花鳥風月を愛し、四季に親しみ、念仏をそこそこにやっても、とやかく言う人はいません。好きな和歌を詠み、琵琶も好きなだけ奏でる自由奔放さを楽しんでおり、けっこう執着しながら生きているように思えます。
 
言っていることと、やっていることへの乖離に気付きながら、自分自身の生活スタイルを見直して自問するのです。仏道修行のための遁世だったのに、なりだけは出家の身でも心は世俗の濁りに変わらない。草庵に居ながら、周利槃特(シュリハンドク)にさえ及ばない。貧賤のゆえか?妄心のゆえか?と。しかし、それに対して、「心はひとことも答えなかった」といいます。「執着・執心を捨て去る」とは、何と難しいことでしょうか。

韓国ドラマ「ホ・ジュン」は、妾の子という不遇の生を受けたがゆえに、あらゆる苦難と苦労、抑圧、差別を受けながらも、民の苦しみや空しい死を思い、心を以て医療に当たる誓いを立て、朝鮮で最高の名医「心医」となり、世界遺産となる「東医宝鑑」の編纂に命を賭け、それを支えた心美しい女性たちを描いたヒューマンドラマです。その毒気にあてられ、心とらわれ執心して、BSのチャンネルを回してしまうのです。


※画像は、クリエイター・白波女さんの、「『ホ・ジュン~伝説の心医』より、韓国の王宮を描きました。」という1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。