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No.678 「身分証明書」の今昔

「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する」
日本国旅券(パスポート)には、そのように訪問国関係機関への依頼要請を明記しています。
 
江戸時代、日本国内といえども、旅行するには「往来手形」(身分証明書兼通行許可証)が必要でした。その文言には、旅行が命懸けであったことが容易に察せられ、また驚かされます。
 
或る「往来証文」に、持ち主が寺の旦那である事を証明し、諸国関所の通過を請願した後、次のように書いてあったといいます。
 「諸国在町にて行きくれ候はば、御宿おおせ付られ下さるべく候。この者何国何方にて相果て申し候とも、御国もと何宗にても御取仕廻(おとりしまい)下さるべく候。此方へお届けにおよび申さず候。」

専門家ではないので、誤読・誤訳もあるかもしれませんが、
「(この旅人が)諸国の町の途中で日が暮れたら、宿をお命じくださいますように。又、どこの国のどんな所で死んだとしても、御国で何宗であろうともその土地のやり方で始末してくださいますよう。こちらにご連絡くださるには及びません。」
 
清水辰夫の時代小説『つばくろ越え』(新潮社)に学びました。国内でも
「本人の責任において旅するものであり、途中で果てても、そちらで宜しくお取り計らい下さい。」
という大変厳しいものでした。自然の脅威にさらされることも、盗賊に金品を巻き上げられることもある「命がけ」の旅だったと思います。

旅の今昔、人の命を守ろうとする精神は、明治維新後に大きく変わったように思います。それは、人権や命に対する政府の意識の変化でした。
 
明治時代に発行された「旅券」の文言には、次のようにありました。
「右ハ 〇〇〇國ニ赴クニ付 通路故障ナク旅行セシメ 且必要ノ保障扶助ヲ與ヘラレシ事ヲ其筋ノ諸官ニ希望ス  日本帝國外務大臣」

現在のパスポートの原型とも思われる文言が既に出来上がっていました。その文書を画像で見たときに、世界に通用する「身分証明書」が産声を上げたように思いました。

※画像は、クリエイター・それゆけユリカちゃんさんの、タイトル「フィジーは最高の楽園🇫🇯旅行記Day1」をかたじけなくしました。お礼申します。