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No.250 知ってたつもり?!

 昨夜、9時45分からのBSプレミアム「ドラマ×マンガ 特攻兵の幸福食堂」に見入ってしまいました。NHKの番組のホームページには、次の解説がありました。

 「マンガ家の陽太(濱田岳)は、連載を打ち切られ窮地に立っていた。そんな中、先輩の海斗(津田健次郎)とふらりと入った居酒屋で、女将の栄子(草笛光子)から興味深い話を聞く。太平洋戦争中、栄子の家族は鹿児島県知覧で特攻隊員たちに食事を振る舞う食堂を切り盛りしていた、というのだ。「ぜひマンガにしたい」と、陽太は栄子に協力を依頼する。栄子が語るのは、これまで陽太が全く知らなかった特攻隊員たちの素顔だった。」

 この作品中の居酒屋「ちらん」の女将・栄子さんは実在の人物で、鹿児島県知覧の「富屋食堂」で「特攻の母」と親称された鳥濱トメさんの次女・礼子さんのことです。彼女は、知覧高等女学校の女学生でありながら、特攻隊員の身の回りのお世話をされた「なでしこ隊」の一人でした。戦後20有余年経って、礼子さんが東京都新宿に開店した「薩摩おごじょ」が、この作品の舞台「幸福食堂」と呼ばれているようです。生前の礼子さんは、店を営む傍ら、週末ごとに知覧に帰り、特攻隊員の出撃を見送った戦争中の語り部を長い間されていたといいます。礼子さん亡きあと、お子さんお孫さんが店を受け継いでいます。

 さて、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさん(1902年~1992年)は18歳で鳥濱義勇と結婚し、1929年(昭和4年)、トメが27歳の時に富屋食堂を開業しました。1942年(昭和17年)、知覧町に陸軍知覧飛行場が完成したのに伴い、富屋食堂は陸軍指定食堂となり、多くの飛行隊員がトメのもとを訪れました。特に「玉子丼」は愛されました。1945年(昭和20年)、特攻作戦が始まると、トメも知覧から出撃する特攻機の見送りを続け、隊員が憲兵の検閲を避けるためにトメに託した手紙を代理で投函したほか、個々の隊員の出撃の様子を自ら綴った手紙を全国の家族のもとへと送り続けたといいます。そのトメさんは、1992年(平成4年)4月に亡くなりました。享年89。(詳細は、ウィキペディア参照)

 この鳥濱トメさんのことは、関口宏司会の「知ってるつもり?!」でも取り上げられたことがあるのを覚えています。調べてみたら、1999年(平成11年)5月30日の放送でした。彼女の没後7年目のことでしたが、生前の80代の頃のインタビューに答える映像でした。抜群の記憶力と、しっかりした口調で、今、目の前で起きているかのように生き生きと語る姿に、どれだけ深く心と頭に刻まれているのかと驚かされたのでした。

 特攻隊員の中には、機体不備のために基地に戻ってきた人や、飛び立つ寸前に終戦宣言がなされ、突撃停止となった人々もいました。そんな生き残った特攻隊員の側からの苦悩にも目と心を向けた作品が、昨夜の放送でした。新たな視点からの学びでした。