No.576 漁師の語った大漁とは?その意味は?

世の中には、素晴らしい発想を持ち、名言を述べる人がいるものです。学者や文筆業の方やマスコミ関係、芸能関係者ならともかく市井の人、巷間の人なら猶更のことです。
 
もう、ふた昔も前の事ですが、TV画面に出て来た漁師夫婦の言葉が印象に残りました。インタビュアーからの、
「海では、危険なこともあるでしょう?」
の問いかけに、ご主人が、
「無事に港に戻る事が大量!」
と即答しました。厳しい海をよく表した言葉だと思いながら見入りました。
 
次に、奥さんに、
「漁に行かないで欲しいと言った事はありませんか?」
と質問すると、
「もう恋人じゃないからね。女房だから、『行かないで!』なんて言ったことはないね。」
と答えました。荒波に揉まれて絆を強く太くしていった夫婦の人生の歴史が伺われました。
 
大分合同新聞のコラム「東西南北」(1996,2,4)には、こんな素晴らしい漁師の話が載っています。これは、今から四半世紀も前のお話です。
 
 「普段は無口な居酒屋のオヤジである。オヤジといっても、まだ四十代だが。こちらから話しかけないとめったに口を開かない。長い間マグロ漁船に乗っていたという。そういえば、シャツをまくり上げると丸太のように堅く太い腕だ。激しい肉体労働で鍛え上げた腕であることがすぐ分かる▼そのオヤジが海の仕事の危険さについてポツリポツリと語ったとき、こんな話をした。激しいシケの中で、網を捲き上げている作業中、大きなサメが網にかかっていたせいで、網はズルズルと海に引き戻された。網をにぎって作業をしていた仲間が、そのまま引きずり込まれ、シケの海にドボン▼周りにいた者たちは、みんな助けに行かねばならないと思っただろう。このオヤジもそう思ったという。だが、そこは大波がウズ巻き荒れ狂う地獄である。飛び込んで助けに行っても、相手も自分も助かる保証はない。女房や子どもの顔もよぎる。一瞬、二瞬、ためらいの時間が過ぎる▼その時である。一人の男が命綱をにぎると地獄の中に飛び込んだ。一瞬のことである。それを見た船上のみんなは頭をガーンとなぐられたような衝撃を受けたというのだ▼その男、仮にAさんとしておこう。Aさんは海の男にしては物静かで無口、どちらかといえば〝トロイ〟といった感じで、みんなから軽んじられていた。そのAさんが何のためらいもなく、当然のように飛び込み、仲間を腕にかかえて舟に帰ってきたのである▼信じられないという気持ちより、本当の男というのはこうなんだ、とみんなは自分たちを恥じたという。もちろん、その日から船中のAさんを見る目も接する態度も変わったが、当のAさんは別にそれを鼻にかけるような素振りはなく、以前と変わらぬ毎日だったそうだ▼いぜんとして行方が分からぬ津久見のマグロ漁船第一久丸の捜索のニュースを聞きながら、オヤジの話したAさんのことを思い出した。」
 
「本当の男」と口にするのは簡単ですが、容易に真似のできる行動ではありません。荒れ狂う地獄の海に、命を賭して飛び込むとは…。そのような危険と隣り合わせになる事もあるのが漁師と言う仕事なのでしょう。
 
そのコラムの話を思い出すとともに、
「無事に港に戻る事が大量!」
の一言は、真実の言葉として今も耳によみがえるのです。