見出し画像

No.751 心の晴れ間を見た元旦

昨日、1月1日(日)の天気は冬型の気圧配置でしたが、空は雲一つなく、胸のすくような青空の一日でした。
 
「何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。」
は、石川啄木(1886年~1912年)が歌集『悲しき玩具』(東雲堂書店、1912年年6月)の中で詠んでいる歌です。彼は、同年の4月13日に永眠していますから、本の完成を見ることはできませんでした。
 
この歌は、恵まれない状況の苦しい生活下にありながらも、元旦にあたり、なにか今年はよいことが自分にも訪れて来るような気持ちにさせる、そんな清々しい天気だったのだと思われます。昨日の私も、まさにそんな気分に誘われました。

改めて『悲しき玩具』を読んでみると、面白いことに気づきます。この歌は、全190余首中の38番目に位置していますが、「何となく」「何がなし」の句がいくつか見られることです。出てきた順に挙げてみますと、
「何となく、
今朝は少しく、わが心明るきごとし。
手の爪を切る。」

「何となく自分をえらい人のやうに
思ひてゐたりき。
子供なりしかな。」

「何がなく
初恋人のおくつきに詣づるごとし。
郊外に来ぬ。」

「何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。」

「何となく明日はよき事あるごとく
思ふ心を
叱りて眠る。」

「何となく、
案外に多き気もせらる、
自分と同じこと思ふ人。」

「何となく自分をえらい人のやうに
思ひてゐたりき。
子供なりしかな。」

「何となく、
自分を嘘のかたまりの如く思ひて、
目をばつぶれる。」

「何がなしに
肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ――
 秋近き朝。」

数えたら9首(約5%)ありました。「何となく」は「理由が分からない」とか「特別の理由もなく」という意味でしょうから、不確実な根拠に対して期待しているわけです。

脳科学者の茂木健一郎という人は、「『根拠のない自信』と『それを裏付ける努力』は正反対なので、両方の思考を持たないといけない」と言ったそうですが、啄木の場合は「根拠のない自信」というよりも、何事もうまくゆかないことに対しての不安や焦りや自嘲に近い強迫観念がありそうです。そのようなものからの脱却を期待する気持ちが込められていたのかなと思ったりもします。
 
啄木の没後8年目の1920年(大正9年)、今度は新潮社から初の『啄木全集』が刊行されました。その売れ行きは好調だったとかで、2,800円もの印税がもたらされたそうです 。これは、当時の1円が今の2,500円に相当するという換算から、約700万円前後と推定されます。亡き石川啄木が、初めて日の目を見た瞬間でした。

「何となく、良い事あるごとし」
がこんな先のことを予言するはずもありませんが、歌を世に送り出したいと努力した結果が「良い事あるごとし」に結びついたのかもしれません。私は、啄木の心の晴れ間を見た思いがしました。

※画像は、クリエイター・あしたパスタ🍝でざーとnote中⛱💕さんの、タイトル「啄木つぁんとあう@大通公園」をかたじけなくしました。お礼申します。