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No.892 平凡の非凡

「ガリ版刷り」の言葉は死語でしょうか?でも、私には懐かしい響きの言葉です。30年も前のお話ですが、こんな学級新聞のコラムを見つけました。

在職中だったある日の放課後、せっせと学級通信(タイトル「かめ」)を書いておられたT先生が、
「昔ん学校ん先生は、生徒全員の作文もロウ原紙を切っち、ガリ版刷りしち、みんなに渡しよったんじゃが、すげー事をしちくれよったんじゃなぁ」
と感慨深そうに話しかけてきました。
 書くという作業には、泉のごとく湧き出るか、天からの憑依でもしない限り、生みの苦しみが伴います。小学校の先生もT先生も、真っ白な原紙をねめつけて、心をぶつけます。言葉を文字にして生徒に届けます。
 ロウ原紙は方眼紙に変わり、鉄筆もインクに変わり、印刷機にかけるだけですが、今も昔も先生方の熱量は変わっていないようです。

1975年(昭和50年)、私たちが大学生だった頃も、夏休みの合宿の冊子はガリ版刷りで作成したことを思い出してしまいました。ヤスリ版にロウ原紙を当てて鉄筆で文字や絵や表をかいたものを謄写版にセットして、まんべんなく伸ばした油性インクをローラーで押し付けると、作品の1ページの出来上がりです。何ページもの作品を作ろうとすると、何枚もロウ原紙を切らねばなりませんでした。あの「ガリガリ」という音がたまりません。ところが、直線が切れて太線になったり、インクで手を汚したりと、なかなか骨の折れる作業でした。

また、別の日のコラムには、T先生に関するこんな事が書いてありました。

 普通科4組の背面黒板に、担任のT先生から生徒たちへのこんなコメントが書かれてありました。
「毎日歯を磨けば、虫歯のない立派で強い歯になります。誰でもできる平凡なことをコツコツ行えば、立派な人物になれるというたとえでしょう。『平凡の非凡』と言います。お互い頑張ろう!」と。
 分かり易くて核心を突いたこの言葉を授業中に見つけて、とても心を打たれました。特別な事ではなく、「あたりまえのこと」や「さりげないこと」をあきらめずに続け、やり通すことの尊さを説いたもので、苦労人の先生ならではの、肩肘の張らない、含蓄ある言葉だと感じた次第です。

ずいぶん昔に野球部の監督も務められたT先生ですが、キャッチャーフライのノックは思い出深いものの一つです。大会での試合前のノック練習の最後を締めくくる高く打ち上げられたキャッチャーフライは、毎回、2本が2本ともホームベースのすぐそばでキャッチャーが捕球しました。そのスイングに敵味方関係なくスタンドの応援席から「おおっ!」というどよめきと拍手が起こっていたことも懐かしく思い出しました。

T先生は、淡々として何事もなかったかのように「平凡の非凡さ」を見せてくれました。それは、堂に入った、美しいフォームでした。


※画像は、クリエイター・水野 うたさんの、タイトル「たいせつに扱うって、こういうこと。」をかたじけなくしました。水野さんは、「笑って泣いて働いて。手のひらサイズの日常を描きます」というモットーで作品を綴っておられます。平凡の非凡の体現者でしょう。