No.937 あの日から40年以上が経ちます。
「久松さーん、久松潜一さーん!」
国立国会図書館内の受付アナウンスの声が館内に響きました。
えっ?と思って図書貸し出しの受付カウンターを見ていたら、老人が若い女性に支えられるようにして図書数冊を受け取って行きました。
間違いありません。国文学研究の泰斗と呼ばれたあの久松潜一(1894年~1976年)先生です。私がまだ学部の学生でしたから、先生は80歳近くであられたと想像します。ご高齢になられても研究のために自ら足を運んで資料を求めようとされるそのお姿に、襟を正されるような思いがしました。
わが家の書架には、久松先生の著書が数冊あります。その中の『日本文学評論史 形態論編』(至文堂、昭和22年4月5日発行)は、久松先生が47歳の時の著作で、ほぼ同年代に活躍された某国文学者に贈呈したものであることが「恵存」の墨書でわかります。
書家の文字ではありませんが、丸みを帯びた字は、温厚そうな人柄を思わせました。尤も、戦時中は民族精神を鼓吹し、戦争責任を追及されたこともあったと言います。それでも、久松先生の幅広い国文学研究活動とその業績は、微塵も揺らぐものではないでしょう。
私はその研究書を神田の古本屋で求めたのですが、私の書付によれば、久松先生が亡くなられた年の半年後の事でした。某国文学者の遺族が謹呈本を処分され、私の者のような所に行きついたのです。自筆の文字を見るだけで、著者の傍にいるような気持ちがしてきます。
久松先生のどの随筆集だったかハッキリとは思い出せないのですが、
「学問とは、人が生きる苦しみであり悩みであり喜びに他ならないだろう」
というような言葉を残されていたように記憶しています。
平坦ではない人生と時代の中で、日本の古典文学を研究し解き明かすことに全精力を傾けられた先生が気づかれた感慨は、多くの異業種の方々にも共感していただける真実ではないでしょうか。
私なりにささやかな喜びを得られるよう、今を生きたいと思います。
※画像は、クリエイター・ぼおりゅう♥りきさんの、タイトル「万葉集に恋の歌で出てくるって?ツユクサ畑の隅っこで咲いと~る・畑えもん通信」をかたじけなくしました。お礼申し上げます。ツユクサには「密かな恋」「懐かしい関係」などの意味があるそうですね。ゆかしく思われる花です。