No.85 冥土への土産は…

インターネットの記事で、ちょっと考えさせられるこんな興味深いのがありました。

「お葬式で、びっくりするほど若いころの遺影写真を見た方、いらっしゃいますか?数年前、私の友人のひいおばあちゃん(享年102)がお亡くなりになられ、お通夜に行った時の事ですが、遺影写真が20歳の時の写真をカラー着色したものでした。友人によると、おばあちゃんが、太平洋戦争で戦死した夫とあの世で再会した際、夫が晩年のおばあちゃんの顔を見ても分からない(または、しわくちゃな顔にびっくりする)かもしれないから、おばあちゃんの遺志で、新婚当時の写真を遺影に使ったらしいのです。」

なんて素晴らしい発想の曾婆ちゃんなのだろうと感激しました。人生で一番奇麗だった20歳だったら、天国の曾爺ちゃんも、きっと覚えている事でしょう。此岸で死ぬまで添い遂げられなかった夫婦が、彼岸で幸せに青春時代を生き直しているだろうと思うのは、いささか感傷が勝ちすぎていますか?

私の母は47歳の時に54歳の夫を亡くしました。その後、義父母の野辺の送りをし、3人の子どもを片づけ、孫6人の世話をしました。「もう少し、迎えに来んで!」と願いつつ、田舎で38年間やもめ暮らしを続けました。

「あの世で『お前は誰か?』と言われるんじゃなかろうかと思うと、心配じゃあ!」
と苦笑しながら、われわれ子供たちに話したこともありました。

「お迎えは いつでも良いが 今日は嫌」
2013年(平成25年)「第13回シルバー川柳」の入選作(千両・女性・神奈川県・当時84歳)です。お年は召しても、オツムは柔軟で魅力的な千両さんです。

しかし、それでも、上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケンさんも言うように「人間の死亡率は100%」です。母は、2013年12月に85歳の人生を全うしました。カミさんと妹が死に化粧をほどこしてくれ、あの世の父も「あっ!」と驚くだろうと思われました。今日は母の立ち日です…。

何をもって「冥途の土産」とするか、私に与えられた余生の課題でもあるのです。