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No.967 私の中の骨太の言葉

ノストラダムスが地球滅亡を予言した年よりも2年ほど前に大分合同新聞のミニコラムの中にあったお話です。

「小学校1年生の息子が、幼稚園児とかけっこして勝った時、『まだまだ若いもんには負けん!』と言っていたのが可笑しかった。」

私が不惑の年を通り越した頃の記事です。少なからずともこの私も、小1の男の子と同じような気持ちで、毎日励んでいたつもりでした。しかし、先日、その当時発行した学級通信を読み返していたら、な・な・なんと、既にその頃から、かすみ目の症状が現れたり、胸囲が胴囲に追い抜かれたり、あちこちで忘れ物をするようになったりしていることに気づかされました。
 
「まだまだ若いもんには負けん!」と鼻息荒く自らを鼓舞していたつもりでしたが、その実は、「歳には勝てん!」と自信喪失になりがちな弱気な発言にトーンダウンしている事にも気づきました。四半世紀も前から、そんな気持ちの方に磨きをかけ、情けない色の濃い年輪を刻んでいたと見えます。
 
さらに、定年退職後は、年金だけではままならず、うち続く値上げ攻勢に「うひゃー」と音を上げつつ、与えられた仕事を何とかこなしながら糊口を凌いでいるというのが偽らざる現実です。大分弁で言うと、
「いのち生きも、やえーこっちゃねーんで!」
って感じです。
 
そんな私にとって、今の自分とどう折り合いをつけられるかが、自分らしい生き方につながるような気がしています。「晴耕雨読」や「左団扇」といった生活とは、生涯縁がなさそうです。ならば、何を心の柱に据えるか?

「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」

ご存知、作家・吉川英治(1892年~1962年)の言葉です。どのような状況でも前向きな生き方を楽しもうという考え方のように思われ、弱い心の私には、傷口に消毒液を塗られたように染みる言葉です。あるがままを受け入れることの難しさは、70年生きても容易ではないからです。だからこそ、受け入れられる器にしなければならないのですね。
 
好きな詩人・吉野弘(1926年~2014年)は「『怏』の中に『快』がある」と言いました。怏々とした気持ちで不平不満ばかりかこち、ため息を漏らしながら生きている自分に気づくことがあります。

でも、その怏々とした気持ちを、よく目を凝らして視ると、嫌だなと思われることの中にも、気づきの喜びや成長の快さが潜んでいるのではないか?そんな風に思われて来るのです。気づける心を幾つになっても忘れずにいたいと思います。

「日々是好日」は「ひびこれこうにち」とも「ひびこれこうじつ」とも読むそうです。中国の唐末~五代の頃にかけての禅僧・雲門文偃(うんもんぶんえん 862年~949年)の言葉だといいます。「毎日がよき日じゃのう!」という長閑な余生を想像していましたが、どうも違うようです。
 
ある日、雲門禅師が弟子に「5日前のことはさておき、これから15日以降の心境を一言で述べなさい」と尋ねたそうです。しかし、弟子達はすぐには返答できませんでした。その時、禅師が「日々是好日」と発したというのです。講釈師が見てきたように語るお話です。

平々凡々、何事もない毎日など、ありそうでなかなかありません。誰もが思うに任せず、生きづらいこの世を、大変な思いをしながら何とか生きているのではないでしょうか。しかし、雲門禅師は言うのです。「思うようにはならない毎日だが、良い一日だったと思えるように生きなさい」。そう言われているように私は勝手に解釈しています。
 
「古希」を迎え「克己あれ」と下手なオジンギャグで歩き始めた七十路です。そんな私を支えてくれるのは、雲門禅師や、吉川英治や、吉野弘の残してくれた骨太の言葉たちです。そんな時代に生きられることに感謝もしています。


※画像は、クリエイター「.ロク」さんの、タイトル「ご自愛ください / Take Care / 暑中見舞」をかたじけなくしました。なにげない一日を心から楽しむお父さんに「ほ」!お礼を申し上げます。