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No.1215 Petit

大分の桜は、ほぼ散ってしまいました。
童話「花咲か爺」は、大分弁でいうなら「むげねえ」(可哀想、酷い)お話です。
 
 昔、ある山里に心優しい老夫婦と、その隣に欲張りで意地悪な老夫婦が住んでいました。ある日、弱った子犬を助けた優しい老夫婦はシロと名付け、わが子のように育てました。
ある時、シロが畑の土を「ここ掘れワンワン」と鳴き始めるので、お爺さんが掘ってみると、なんと大判小判がザクザクと出てきました。
 それを見た隣の欲張りな老夫婦は、強引にシロを借りて財宝を探させます。しかし、シロの示す場所から出てきたのは、ガラクタやゴミばかりです。激怒した意地悪な老夫婦はシロを死なせてしまいます。
 わが子同様に思って育てたシロが死んでしまい悲しみに暮れる老夫婦は、シロのお墓を作って雨風から守ってくれるようにと一本の木を植えました。植えた木はすぐに大木となり、老夫婦の夢にシロが現れ「その木から臼を作って下さい」と言います。夢にしたがって臼を作って餅をつくと、なんと臼から金銀財宝が次から次と出てきました。
 それを知った隣の老夫婦はまたもや強引に臼を借り受けました。しかし、杵を振るっても出てくるのは泥や石ころばかりです。怒った意地悪老夫婦は、臼を叩き割り燃やしてしまいました。
臼が灰となって返ってきたのを見て、優しい老夫婦はさらに悲しみますが、再び夢にシロが現れ「桜の枯れ木に臼を燃やした灰を撒いてほしい」と頼みます。シロのいう通りに枯れ木に灰を撒くと、なんと満開の桜が咲き乱れました。「枯れ木に花を咲かせましょう」と、正直爺さんが花を咲かせていると偶然通りかかったお殿様の目に留まり、老夫婦はご褒美をもらいました。
 これをねたんだ隣の老夫婦も真似をしてその灰をまきましたが、花が咲くどころか、お殿様の目に灰が入り、無礼者と厳しい罰を受けてしまいましたとさ。
 
室町時代の末期から江戸時代の初期にかけての勧善懲悪を説いたお話だそうです。貧しくて苦しい庶民の生活だったでしょうが、人心が乱れ道徳心を失わぬようにとの知識人の創作だったのでしょうか?それとも、夢だけでも見たいとする庶民の発想による昔からの伝承だったのでしょうか?

それにしても、隣に住む「意地悪無慈悲スーパー慳貪」な老夫婦には、「どんだけー!」とIKKOさんも背負い投げだけでは飽き足りず、寝技で組み伏せ、落としたい気分でしょう。
 
ところで、文部省唱歌「花咲爺」(作詞・石原和三郎、作曲・田村虎蔵)は、『幼年唱歌 初編 下巻』(1901年=明治34年)に収録されています。その一番から六番までの歌詞は、「花咲か爺」のあらすじ仕立てです。犬の名前は「シロ」ではなく、「ポチ」です。
 
一、
  うらのはたけで、ポチがなく、
  しょうじきじいさん、ほったれば、
  おおばん、こばんが、ザクザクザクザク。
二、
  いじわるじいさん、ポチかりて、
  うらのはたけを、ほったれば、
  かわらや、せとかけ ガラガラガラガラ。
三、
  しょうじきじいさん、うすほって、
  それで、もちを ついたれば、
  またぞろこばんが、ザクザクザクザク。
四、
  いじわるじいさん、うすかりて、
  それで、もちを ついたれば、
  またぞろかいがら、ガラガラガラガラ。
五、
  しょうじきじいさん、はいまけば、
  はなは、さいた かれえだに、
  ほうびはたくさん、おくらにいっぱい。
六、
  いじわるじいさん、はいまけば、
  とのさまの、めに それがいり、
  とうとうろうやに、つながれました。
 
ここに言う「ポチ」とは、フランス語の「プチ」(Petit:小さくて可愛い)から来たという説と、明治以降に関西で見られる「ぽち」(心付け、少しの意。ポチ袋)から来たとする説があるようです。作詞家というのは言葉に対する嗅覚に優れた存在だと思いますが、いち早く海外文化の一端を日本の犬の名にも用いてハイカラなものにしたのかもしれませんね。

「肥料まく 気分は花咲 じいさんか」
 小野悠輝さん
 第1回ガーデン川柳
(Silver Clipper Award)


※画像は、クリエイター・ひとねさんの、タイトル「八十三歳の花咲爺」の1葉をかたじけなくしました。花咲か爺さんは、現代も健在です。お礼を申し上げます。