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No.1247 誰に似たのでしょう?

子どもの頃から何をするにも長続きのしない男でした。

小学校では野球にハマり、昼休みも放課後もボールを追いかけました。
中学校では、柔道部に入り、主将でしたが個人戦ではすぐ負けました。
高校では、化学部に入り、高文連での発表会に臨むも入賞できません。
大学では、国文学科で学ぶも自分の才能の開花には至りませんでした。
何一つとして長続きせず、突き詰めることもせず、ひとつもものに出来なかった、それが私です。

教壇に立って17年目、私は45歳になっていました。古典の話をするときに、少しは役に立つかなと思い、一念発起して弓道教室に通い始めました。軍記物語に弓矢は切り離せません。合戦としての実践の弓と教室での学びの弓は違うのでしょうが、学ぶにしくはなし。全くの素人です。0からのスタートですが、新鮮であり、大いに刺激を与えてくれました。
 
10月から12月までの期間限定夜間コース(毎週1回90分)には30人以上の希望者が集まりました。若い人々の中には、現役高校生が居たり、久しぶりに再開したという経験者がいたり、全くの素人さんもいたりしましたが、ド素人の上に年を食っていたのは私だけです。蛮勇を振るうこととなりました。
 
それにしても、日常で何気なく使っている言葉にも、弓矢に関するものが何と多いことでしょう。人と弓との歴史の長さと深さを物語るようです。
「一矢報いる」、「一分八間」、「白羽の矢が立つ」、「図星」、「手ぐすねを引いて待つ」、「手の内を読む」、「満を持す」、「矢面に立つ」、「矢庭に」、「矢場い」など枚挙にいとまなしと言える言葉が残るのは、その証でしょう。
 
1.基本体と射法八節
2.手の内の練習
3.弓を持っての八節、手の内
4.ゆがけ(弓懸、弽)をつけての八節動作
5.矢をつがえての八節動作
6.巻き藁前での射法練習 離れの練習
7.立射の練習
等々、左腕に何度も黒じみ(内出血)を作りながら、3か月間の弓道教室に励み、終了証をいただきました。本当に「押し頂く」と言いたいくらい感激しました。
 
その後も弓道場に通い、1年後には運よく有段者になりました。しかし、最初の同期生は、その頃には数人に激減していました。弓道場の先生からは、
「仕事や生活が、まず大事です。それが出来てこその弓です。」
とよく言われました。私は、いつしか仕事の多忙にかまけ、それを理由に、少しずつ足が遠のいていきました。ここでも、私の心の根は張れないままでした。
 
ただ、この弓道教室に通うことによって、師と仰げる若者が出来、経験したことのない学びを与えてもらい、今もなお続く交友を得ることが出来ました。一歩足を踏み出したご褒美だったと思います。
 
『平家物語』巻十一で、「南無八幡大菩薩」と祈った那須与一が、平家方の舟に掲げられた「扇の的」を「よっぴいてひょうふっ」と射切り、見事に命中させます。そんな場面を射法八節を行いながら説明するだけで、今までとは違う授業となりました。
 
あれから25年、弓道場の敷居は高くなったまま、私の弓も道場に置かれたままです。
 
 
※画像は、46歳の時のまだ弓道を続けていた私のために、娘が作ってくれた「飛び出すカード」です。こんな父ちゃんですが、娘はしっかりしています。母親に似たのかな?