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No.585 もう「明治仁君」とは呼ばせない!

「降る雪や明治は遠くなりにけり」
第一句集『長子』(1936年)に採られているこの句は、1931年(昭和6年)、中村草田男(1901年~1983年)が30歳のころ、20年ぶりに訪れた母校の東京青山の青南小学校での作だそうです。草田男が生まれた1901年は明治34年ですから、草田男は子どもの頃の12年間を「明治」という時代に生きていました。
 
その明治の時代は過ぎ去り、大正、そして昭和へと時代が進むにつれ、街が変化し、生活様式や文化も変わり、生徒たちの姿も教育内容も変わったに違いありません。そんな様子を見て、子どもの頃に慣れ親しんだ明治という時代が遠くなってしまったことに懐かしさと寂しさを覚えて作った句なのでしょうか。
 
「雪が降ってきたよ。小学生たちが元気よく校舎を飛び出して雪と戯れる様子を見て、自分が小学生の時の明治時代にいるような気持ちがよみがえってきたが、あれからもう20年が経ってしまったのかと思うと、しみじみと胸に去来するものがあったことだ。」
と、そんな解釈をしてみました。それにしても、老境を思わせる句でしたので、草田男が30歳頃の作と知った時の驚きは今も鮮明です。
 
「明治仁君」とは、カミさんが私を揶揄する時に使う便利至極な言葉です。そのココロは「時代後れ」ということらしいのですが、上手いネーミングがちょっと気に入っています。しかし、悔しくも悲しくもないと言えば嘘になります。
 
もちろん、時代の波に乗りきれなかったのは、私が「カナヅチなタイプ」の人間であることだけが理由ではありません。そればかりか、中学3年生の「卒業研究発表」で、T君から我が体脂肪率25%越え(「肥満度」)を白日の下に曝されたショックから立ち直れないからなのでもありません。ただ単に、時代が私を追い越しやすかっただけの話です。
 
それが証拠に、携帯電話を持ってはいますが、どこからもかかって来ません。ガラパゴス君なだけに、360度視界良好な孤島状態です。メールは、家族と繋がるシステムを採用しているにも関わらず、実の子ども達から何ヶ月間も連絡はなく、ともすると二人の子供の父親であることすら忘れてしまいがちです。
 
ところが、遠くにいる子ども達は、最近流行りの「LINE」とやらでカミさんとやりとりを楽しんでおるらしく、
「お父さんも早く仲間に入れば良いのに!」
などと、心にもないことをいうカミさんのお口元は、微かに緩んでいます。
 
ここまで書くと、家族の中で苛めに遭っているのではないかと心配して下さる諸兄諸姉もおられるかも知れませんが、決して、断じて、金輪際、そんな事はございません。
「今夜、何が食べたい?」
と、カミさんが優しく聞いてくれる時もあります。
「上手いもの!」
と言うと、
「ない!」
と答えてくれます…。
 
恥を忍んで書いた前述の記事は、2014年の頃のお話です。あれから8年、ついに私は時代の尻尾を掴み、今や立派にスマホdebuを果たし、LINEの家族グループにも名を連ね、noteで敬愛する人々と繋がりを楽しむ毎日です。おそらく、たぶん、別人の感があります。
「もう『明治仁君』とは呼ばせない!」
そんな心意気で、物忘れに磨きのかかりつつある脳ミソに活を与えているのです。