2024年6月25日

2024年6月25日。もっとアホほど勉強しないと仕事で使い物にならない。絵も漫画も然り、もっとアホほど描かないと良いものはつくれない。問題は、その時間や環境があるかどうか。資質も問題だけれど、凡人にとって量を通過しない資質の議論にあまり意味はないと思われる。「誰でも最初の15000枚は下手なので、まず15000枚描いてしまえばいいんですよ」とさるディズニーのベテランアニメーターが言っていたと言っていないとかを先日Twitterで読んだ。アニメーションと絵や漫画はまた多少話が違うところはあろうが、とはいえ1日1枚の絵で換算すると、15000枚描くには少なくとも41年以上はかかる。僕がいま31歳で、3年ほど描いているから、69歳まではまだ通過するべき量に達しないということなのかもしれない。まぁ15000枚じゃなくて仮に10000枚だとしても、55歳までは揺籃期と言えるかもしれない。あまり先のことを見すぎても現実味がない。ただ、とりあえず10000枚描いてみないで何かごちゃごちゃ泣き言を言うのは早いのだろう。とにかく続け続けるだけの健康を保っていられる運命であることを神にお任せするしかない。
石の上にも三年と言うけれど、自分の最近の実感としては石の上にも三年三ヶ月である。一ヶ月まえから、ようやく自分の絵が変わってきたと感じるのだ。具体的には、背景を描こうという気力を保てるようになった。三年では変わったように感じられなかった。1000枚を過ぎても背景のない絵を描くので精一杯だった、4年目に突入した1087枚目でも同様だった。だが1133枚を過ぎた頃からふと背景を描くキャパシティが自分の中に生まれたのだ。だから、石の上にも三年三ヶ月なのだ。しかしまだ安心はできない、またいつ背景を描く気力が失われるかわからない。とりあえず背景付きの絵を100日分描き続けることができれば、ちょっとした安定期には入る気がする。背景ありの絵がそこから質的に変化するには、また1年くらい描き続けてみる必要があると感じている。とにかく、ようやく僕の思う「絵」と呼べるようなものの片鱗が描け始めていることが嬉しい。僕はずっと毎日の絵の中に「世界」と呼べるものがないことが恥ずかしかった。それには背景を描くことが必要だったのだ。環境の中にある個体を描いて初めて僕はそれは一つの世界だと呼べる気がするから。もちろん、まだ世界や作品と呼ぶには足りないけれど。それらを生み出す力を培うのだ。

実習をしながら力動精神医学もちゃんと勉強したいという気持ちが芽生えた。学んでも動かし難い現実はあるだろうけれど、目の前の現実に取り組む術があるなら。いま、無力さに、現実に、打ちのめされることを想像するは良いことだ。どうせやらなければならないことだ。
夜は救急の見学をした。患者さんが途絶えなかった。僕は何もできなかったが、だからこそ勉強しなければならないと思った。ああ、学ぶべきものがたくさんある。
帰り道21時半、行きつけの喫茶がまだ開いてて、ミックス定食を食べた。オクラのフライチップスのお菓子をもらった。こういう時間が僕の幸福を形作る。
絵もうまくなりたいし、何より人の胸を打てるような漫画を描きたいと思う。それもいつになることだろう。
今日もなんとか一枚描けた。無理やりだ。

【1日1枚】1166/2000枚目

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