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”生まれて初めての銭湯”の記憶

こちらの、銭湯ファンにはおなじみシロヤギさんのTweetを読んで、ぼく自身の「生まれて初めての銭湯」について、そしてそこに連れて行ってくれたおじいちゃん・おばあちゃんの思い出が溢れてきたのでnote書き出しました。

 


 ぼくの両親は共働きで、幼稚園似通っている頃から朝から夜までおじいちゃんとおばあちゃんに預けられていました。

じいちゃんとばあちゃんの家は古い長屋でもちろんお風呂はありません。

でも、裏には銭湯があって2人はそこに通っていて、両親が仕事で遅くなるときなんかはその銭湯に連れて行ってもらっていました。

 

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ぼくはとにかく2人とその長屋が大好きで、そんなに実家と離れていないないにもかかわらず、月に1回は1人でお泊まりに行くくらい。もちろんその日は銭湯に連れて行ってもらいます。

その今となっては屋号もわからない「ばあちゃんちの裏の銭湯」がぼくにとっての生まれて初めての銭湯になります。

 

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どれくらいの頻度で行っていたのかも定かではありませんが、ばあちゃんと一緒に女湯に入っていた記憶もあります。

小学校中学年には廃業した「裏の銭湯」なぜかその銭湯に関する記憶は多く残っていて

・優しい女将さんが番台にいたこと
・浅い「子ども用の湯船」から初めて「大人用の湯船」に入れたこと
・お風呂上がりに買ってもらえたラムネ・マミー・アイスが嬉しかったこと
・生まれて初めてオロナミンC を飲んだこと
・おじいちゃんと潜水艦の模型をお風呂で走らせてひどく叱られたこと
・積んであった薪に登って遊んだこと
・大声で「は〜〜!!おら〜〜!!」と頻繁に叫ぶヤクザの常連

木工が得意なじいちゃんは、ぼくにいつもショベルカーやフォークリフトなどのおもちゃを手作りしてくれたんですが、その材料は大体裏の銭湯の薪。

 

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ぼくは当時そこまで銭湯が大好きだったわけでもないので、裏の銭湯が廃業した時に「実家のお風呂に入りにくれば?」と提案したことがあります。

でも答えはじいちゃんもばあちゃんも揃って
「狭い風呂に入っても入った気がしない」

 

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今のぼくの銭湯好きは、そんなじいちゃんばあちゃんの影響を多分に受けているのかもしれません。(色々あって血は繋がっていないのでDNAじゃないです。笑)

 

裏の銭湯が廃業したのちは、隣町の銭湯に通ってました。そこにも何度かついて行っでます。

そこはご主人が気難しい(ぼくがうるさすぎたんでしょう。今になってみれば普通のご主人だったはず)ので「裏の銭湯」に対して「うるさい銭湯」と呼んでました。


そんなうるさい銭湯も廃業。さらに遠い自転車でしか行けない銭湯にも通っていましたが連続してそこも廃業。

高齢のじいちゃんばあちゃんが通える銭湯は無くなってしまいました。


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仕方なく、長屋の庭部分にユニットバスを建てたんですが、やっぱりお気に召さない様子。そんなに使うこともない間にばあちゃんが亡くなり、じいちゃんも後を追うように行ってしまいました。

なんだか銭湯と共に生きていたかのような気がしなくもありません。

 

今のぼくの銭湯好きぶりを、じいちゃんとばあちゃんが見たらなんて言うだろうな〜。笑うだろうな〜。

今でもぼくはレトロな銭湯が好きで、そんな銭湯に出会っては「裏の銭湯」に似てるな〜。「うるさい銭湯」っぽい!!とか考えながらお風呂に浸かっております。

 

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注)画像はすべて「裏の銭湯」に似た感じの現存の銭湯です。
 
牡丹湯:大阪府大阪市住吉区帝塚山東4丁目8−6
万代湯:大阪府大阪市住吉区万代6丁目9−26

 

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