あの頃とプリシクの話

実はμ'sの3rdライブから今日でもう六年も経つらしくて、時の経つ早さに驚くばかりです。
そんな3rdライブ、自分の人生におけるかなり大事な思い出の一つではありますが、けどまあ今更あのライブについて語りたいことがあるわけでは別にないんですけどね。
じゃあ何なんだよっていうと、それに関連してその3rdライブの日、終演したその時から始まったとある企画についてのハチャメチャな歴史を思い返してみて、個人的に面白いからツイートに書き残しておくかと思ってちまちま書いてたら普通に1000文字を超えてしまって、こんなくだらない話でマジかよと愕然としつつ自分内ルールに則ってここ(note)送りの刑にしているだけなんですけど。
まあ、そんな感じで特に何の役に立つわけでもない、当時から数年はとある界隈では共通認識だったけど、今となってはもう知らない人の方が多いかもしれない歴史の話です。


話の枕はこのツイートなんですけど、またこれ書き直すのも面倒なのでまずここに埋めておきます。
で、以下がここから続くお話。そんな無法のユニットが誕生できた経緯について。


そのユニットこと『Please & Secret』、まあプリシクっていうんですけど、結果だけ書くとそんな風にラブライブというコンテンツがあって、その中のμ'sというユニットのメンバーの内二人が勝手に全く別の場所でコンセプトは似ているけども全く関係のない別のユニットを、コンテンツの人気がうなぎ登りの絶頂期に同時にやっていたという、こうして文字にしてみると嘘でしょみたいな話なんですけど。
いやもう、自分でも改めて当時を思い返すと本当に嘘でしょとしか言いようがないんですけども。よく許されてたな……、と。
それでも別にまあ許されてた理由は納得のいくものがちゃんとあったりして、この話は延々それを説明するだけのものなんですけど。
でも現在の結果だけしか知らない視点から歴史として説明しようとするとかなり複雑なものがあって、そしてそこが自分としては結構面白かったりもするように思っていますので、当時を知らない人はへぇ~と思いながら読んでくださればいいかと思います。
で、まずそんなプリシクなんですが、企画を立ち上げたタイミングが今思うと相当神がかっていたんですよね……。
"実は"の話、まあ憶測レベルでしかないんですけども、何にせよラブライブはTVアニメの一期時点をとりあえずコンテンツの一区切りにしようという、今では信じられないけどもそんなムードが内部にはあったようでして。
「じゃあそれ以降のウチの子はどうなるんだよ×9」っていう、問題もあったりしたわけです。
当時のμ'sは今では信じられない話かもしれませんが、ユニットとしての人気はそこそこあったけどその後のキャリアになるのかというと何とも言えない感じの実績だったので。
まあアニメ終わって、3rdライブやった後で殆ど裸一貫で放り出されるかもしれないけどもどうするっていう危機感がメンバー各々の所属事務所にあったと思うんですよね、勝手な想像でしかないんですけど。
で、運営側も今後を確約出来るわけでないし、そんな負い目もあってその時期のメンバー各々の活動についてはかなり大目に見ようという感じだったんじゃないかなとも、あくまで勝手にですが推測出来るわけです。
まあそんなようなセンシティブな時期に、「ラブライブとμ'sが終わったら次はどうする?」ということで、「うーん、じゃあキャリア活かして似たようなことやる?」となって立ち上がった企画がプリシクだった……のだろうと、今となっての憶測としてはそう思われるんですよね。
そう考えると全ての辻褄は合うんですよ、当時のファンからコンテンツを見た感覚としても十分納得の出来る話でもあって。
そんなこんなでプリシクは別に何もかも計算尽くだった便乗商法というわけでも全然なくて、「とりあえず今後もどうにかして生きなきゃ!」という生々しい危機感が伝わってくる上に、こっちの運営も「あの人気コンテンツのメンバーやから絶対売れるで!」というような気合が入ってることも全くなく、傍から見てても杜撰でガタガタな半分地下ドルというまあ明らかな泡沫企画だったんですけど。
けどまあ、だからこそ別に問題はなかったんですよね……ラブライブ側としても、メンバー個人側としても、ファンからの視点としても、みんなおかしいと感じることはなくそれぞれ完璧に納得のいく話ではあった、当時のコンテンツを漂う雰囲気や現実的な手応えとしては。
ただ、全員にとって唯一にして最大級の誤算が、その後のラブライブとμ'sがあまりにも想像を超える勢いでハネてしまったという……。
それに気づいた時にはもう運営側にそれを止められるような拘束力はなく、同時にプリシク側にもそれを止めるような理由もなく。
画して結果的に限りなく公式っぽいけど完全非公式の合法スレスレな神がかった便乗ユニットが爆誕してしまったというお話だったのさ……。
みたいな歴史の講義を、3rdライブから六周年という記念日に寄せてここに書き残しておきます。
こうして全ての結果がわかった後で時々振り返ってみると、3rdライブ周辺の何とも言えない時期は本当に面白いものがあったと思います。
みんながみんな後々あんなことになるとは思ってなかったから本当にやりたい放題で、まあやりたい放題だったのは主に自分の推しの事務所だけだった説もありますが……。
けどまあそういう風にそれも仕方ないと思える雰囲気もあったわけで、結局言いたいことはそんなことを笑い話に出来るほどみんながみんな成功出来て良かったねということですね。
時折、あの3rdライブが終わって会場を出る際に、その出入り口でそんなプリシクの活動開始についてのフライヤーを配られた時を思い返しては、そんなことを考えて物思いに耽ったりしています。
…………ねえ、今にして思うと実はあのフライヤー配布も非合法だったんじゃねえかな……?


まあそんなくだらないお話の、更に余談かつ最大のオチとしては、そんなタイミング的に恐ろしい勢いで昇っていく所属コンテンツに完全にシンクロして便乗出来たはずなのに、それを受け止めて最大限に活かせるような態勢の整った企画でもなかったせいで
結果流れ込んでくるあまりのパワーに耐え切れずに自壊してしまうというメタルクウラみたいな終わり方をして、かつ辿った足跡としても異様な勢いのあった地下ドル以上のものではないという当初の予測通りの泡沫企画で走り切った事実があったりするわけですが。
だからこそ結果的にプリシクはどこか憎めないし、今でもあのユニットを追いかけたことはいい思い出だったような気がするのかなと思います。
まあでも自分の推しの方はともかく、もう一方の相方にはどうも恐らく消えない心の傷を残したらしく今ではほぼ絶縁関係にあり、かつ向こうのファンにも当時は事務所の杜撰な運営に付き合わせて多大なご迷惑をかけた事実もあって、いい思い出なのはこっちだけだろという申し訳なさも同時に覚えるんですけども……。
それもいつか時効が来てくれないかな……、と願うしかないですけども……。
あと、そもそもこの企画、実は基幹としては台湾のゆるキャラであるOPENちゃんとのコラボレーション企画であり、向こうのそれが日本でも活動の幅を拡げたいという目的で、まずその橋頭堡としてOPENちゃんの妹達がアイドルユニットとして活動していたという別に隠されてもいない実態があったんですけど。
なんか……まあ……その割に本当に何もかも杜撰だったせいか、最終的に全然そういう目的は達成出来ないまま、OPEN兄貴は失意の内に台湾に帰っていったという一番悲しい歴史がその裏にはあったりするんですけどね……。
まあ……まあね……何かこう、色々思い返すと本当にすみません……って感じですね……。
……でもまあ、全部済んだことだから! もう六年も前の話ですよ!
そんな感じ!


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