ストッパーは自分 その4

希望通り翌年の春、異動同時で主任に昇格しました。30代最後の春のことです。

同年代のスムーズに上がった人より7〜8年遅れでした。不妊治療を少ししていたこともありますが、ストッパー作用による遅れは5年ほどだと思います。

子供を授かり、結果的に主任にもなれて、充分じゃないか、と思うことにしていましたが、自分で決めたことなのに、やはり悔しい気持ちは常にありましたね・・

新しい部署はとにかく忙しく、残業は当たり前。でも延長保育のリミットまでにお迎えにいくには18時には会社を出ないと間に合わず、毎日毎日毎日、会社から駅まで走ってました。

会社から200メートルほどのところにある大通りの信号を待たずに渡れるかが、目指す電車に乗れるかの運命の分かれ道!とばかりに、会社を出た瞬間から道ゆく人を華麗に?避けながら猛ダッシュ🏃‍♀️💨

余談ですが、最初の頃は信号渡り終わるので精一杯でしたが、気がついたら余裕で駅まで走れるようになってました💪

それでも18時に退出する主任は他におらず、部下を残して先に帰ることに罪悪感ハンパなかったです。

毎日、ごめんね、すみません、お先です。と言うのですが、先輩主任や部下からの「大丈夫ですよ!帰ってあげて!」の声にもの凄く救われたのを覚えています。

そして2年が過ぎた頃に上司から、「課長補佐にチャレンジしないか?」と声をかけていただいたのでした。

・・またまた、ストッパー発動です。

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