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私は何者か、334



思うことを、思いどおり享受するのではなく、思わぬことを、思いもよらず享受すること。


隙間に落ちた米を拾うように。雀の仕草のように。雀は、本当に身近な鳥であるにもかかわらず、1.5メートルも近づくと、ササっと逃げるのである。永遠に分かり合えないアダムとイヴのように、触れることさえままならないのである。だからこそ、その距離感の絶妙さは、測って測り切れるものではない。作為でも、無作為でも、彼らは関係なしに飛び立つ。半径1.5メートルには入れない。そんな、孤高。


手に入れられるものなど、ほんとうにすこしなのである。

今日は外に出かけた。花は散っても春まだ浅き。風は涼やかにさわさわとゆく。シャツの襟を立てて、風に吹かれ、陽を受ける。幸福。

祖父の買ってくれた腕時計は、いまだに動き続ける。古びるとは、なんと、古びた言葉か。

なんの前の戦から100年もたっておらぬというのに。

闘うことに何を見出すか。

ゆく者よ。

知らしめることのなんと普通の循環か。


手のひらを見よ。


その人の何を知っているのか。


少なくとも、そこに在る、それだけのことよ。


私は何者か。




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