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私は何者か、300


爪を切りすぎたようだ。深爪。とかいう。今までにも、こんなことはあったろうか。楽をすれば爪が伸びるという。そのとおり、伸びた爪に気づかず、楽をしてきたのかも知れない。そんな気はなくとも、遠回りしていたと思うのに、案外ショートカットに生きていたよと誰かに言われたなら、もう一度よく考えてみなければならない。人の生きる長さは猫の桃太郎の髭の長さにもかわらないもの。要るだけあればそれで良いのだから。

早く仕事が終わり家に帰り着けば、早めに夕食の支度をする。その間に麦酒を飲み、海苔を食べ、麦酒を飲み、バナナを食む。麦酒を飲み、
ナッツを齧り、アイスを舐める。皆の腹ごしらえのためにまずは自身の腹ごしらえである。ただし、前菜的に。少しずつ、摘む。

これは何の前触れ。薄くうすく皮を剥がすように、晒すように、ひりひりと痛む。自身の表現とは別に概ね当たり前のような頭痛。何時間もその時間に閉じ込められたことによる反作用。どうしようもない空間に矮小化されたそれでもまだ生きている自身のエネルギーのようなもの。それがぴっちりと殻の中で収まっていれば良いものを、みじんこが動くようにあの可愛らしい動きで、私の頭を痛めるのである。こしょこしょと古本屋でもあるまいに足裏をくすぐり耳朶に触れる。

竹の葉のうえ、いや、とりあえずの場所としての雪の在処が強い風に煽られて、その白い乾燥した六角形の結晶が舞う。零下のなか長いあいだ舞い続けている。目に見えぬものの仕業か。峠を越えた後にみたもの。はじめてのことだらけである。5分間を3時間に引き伸ばし、それでも、まだ、何もわからぬまま。伝言ゲームのような恐ろしい結末を誰が想像するか。踵を返す。朝の雪。

晴れてきたけれど、それはたまたまの奇跡のようで、横切ったのが白猫か、黒猫か。いやはや、白山羊ならば待ちぼうけ。黒山羊は相変わらずの美食家で、雁皮紙なんか食べたっけ。A4再生紙ならば、ドイツ製のシュレッダーが食べきり。まだまだ続くア・ラニーニャ。


指先が冷たい。

エクレアとほうじ茶。


少しく、寂し。


私は何者か。





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