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どうせ2日で終わる日記【19日目】

前置き無し、と書くのは微妙にダサい気がしてきたので今度からマナと呼ぶことにした。
マナ、発動……(前置き無し、の意)

忙しい≠書くことがある

もうこのnoteで何回目になるか分からないほど話した話題ではあるが、僕は今卒業研究に非常に、そう非常に追われている。
念のために説明しておくと追われているというのはストーカーの被害に遭っているということだ。毎夜毎夜帰宅するまで常に後ろから卒業研究の気配がしてしまい、思わず早歩きで、でも家までついてきてほしくないからちょっと遠回りして帰るのだ。

という訳で僕の生活は大分卒業研究に振り回されている訳だが、今日も今日とて同じようにまた卒業研究に振り回される一日だった。

noteでもハテナでも今は亡きYahooブログでも何でもいいが、インターネットで自身の私生活を恥ずかしげもなく稚拙な文体で公表している僕のような人間はごまんといる訳だが、そうした人たちの多くはこう言う。

「今日は本当にネタが無かった」

僕もこんな感じの話を日記に以前書いた気がする。そして何故かそれが一番伸びていた記憶がある。確かめてから書けと思うかもしれないがそういうならお前が調べろ。
僕はこれが一番伸びたのは偶然という訳ではなく、単純に「日記のネタが無い」というのがnoteあるあるの極みのような、ある種使い古された共感なのではないかと疑っている。
つまり、誰しもが通る道なのだと。
実際のところはどうなのかは分からないが、僕が一般的な人間であり標準的で模範的な人間であることを考えると多くの人間は僕と同じ道を通っているのではないだろうか?

さて、ここで敢えて話を覆すが、僕は「ネタが無い」ということは無いと思っていた。
これについても以前話した記憶がある。
ネタは掘り起こせば意外と些細なことでもあるものだと。後はそれを書く人間の腕次第でどうにでもなると。
つまり、「ネタが無い」というのは実際にネタが無いという訳ではなく、「(自分が丁寧に文章を面白おかしく書かなくてもその事実だけで面白くなるような)ネタが無い」ということなのではないだろうか、と思っていた。
僕はこの考えを信じて疑わなかった。
当たり前だ。
人が睡眠時間8時間を抜いた16時間の生活の内に、何も書けない――なんの活動も行っていないなどというのはあり得ないのだから。
大体なんらかの活動を行っているはずだ。
○○というテレビを見て○○だと思って~~だの、今日はコンビニで○○を買ったがこれはいつも食べていて美味しくて~~だの、今日は突然雨が降り出してきて~~だの、今日はめっちゃ青空で~~だの、今日は満員電車だったけどもうみんな自粛生活はしてないのか~~だの、まあともかく書こうと思えば何でも書けるはずだ。同じことをずっと書いて変化のない生活だというのならそれを書けばいい。今日食べた昼ご飯でも夜ご飯でもなんでも書けばそれはネタになる。

という訳で僕は「ネタが無い」というのはある種のウソだと思っていた。
そう、思っていたのである。
しかし今日、僕は新たな現象に遭遇した。
それは「(プライベート過ぎてインターネットに公開できるような)ネタが無い」という現象だ。
実際問題、恐らく「ネタが無い」という人の7割くらいはこれが原因でネタが無い、と言っているのではないだろうか。

先ほども述べた通り、僕は卒業研究で忙しい。
今日も朝起きてから今こうして日記を書くまでずーっと卒業研究の作業をしていた。
インターネット上で、「おきあみ」というアバターで存在している僕であるが、これはインターネット上での自分であり、実生活の僕はこのアバターという覆面によって隠匿されている。つまり実質現実世界については匿名状態なのだ。
そんな僕にとっては卒業研究の詳しい中身などはプライベート中のプライベートだ。
という訳で一日の大半を過ごしていた卒業研究については書けるわけがない。
では先ほど挙げたような、夜ご飯についてはどうだろうか?
これも残念ながら、プライベートすぎて書けない。何故プライベートか、といわれればそれは僕が実家住みで昼食は今日は抜いて朝晩は親が作ってくれたからだ。
流石に親が作ってくれた料理をインターネットに公開するというのは僕は気が引けるし、書けることもない。せいぜい「お母さんありがとう」くらいだ。
それはそれでほのぼのしてていいかもしれないが、だったらそれはインターネットで書くのではなく直接言うべきであり別にこれを読んでいる不特定多数に向かって何らかの情報を公開するほど何かこの料理に情報量が込められている訳ではない。僕が作ったわけではないので苦労話もない。「机をふくのが大変でした」なんて書いた日にはどこからともなく手が伸びてきて僕のことをタコ殴りにするだろう。

という訳で、今日の僕の生活はかなりの活動をしていたのにもかかわらず、全てがプライベート過ぎるがゆえに「ネタが無い」状態だったのだ。
ではそんな「ネタが無い」状態をどう打破するか。
それがこれだ。

そう、「ネタが無い」ことをネタにする、つまり「メタネタ」だ。

大抵ブログに「ネタが無い」と書いている人はこれをネタにして糊口をしのいでいる。これはそういう統計がきっとScience誌あたりに掲載されているに違いない。
「ネタが無いよ~~;;」で終わればまあそれまでだが、僕のこの素晴らしい記事を読めばわかる通り、「ネタが無い」ということに関してちゃんと考察を付随させて読者を飽きさせない構成にすることだってできる。
実際その中身が読むに値するかどうかはさておき、ぱっと見「何か書いてあるな」感を出す上でこうした技は使えるのではないだろうか。少なくとも今これを書いている僕は「何か書いているな」感はある。「何か書いているな」という感想しか抱いていないが。強いて言うなら一度人類が滅びかけて文明の大半が失われた3000年後くらいの世界で我々のブログが発掘されて、「「古代人の電子記事あるある」としての「ネタが無いことを散々書いている」ということを考察する古代人がいた」という話題で未来のSNSで軽くバズってくれたら多少報われる。

さて、そんな訳で例えブログに書けるネタが無かったとしてもこうした考察でお茶を濁すことが出来るのだからやはり「ネタが無い」というのは幻想やまやかしや幽霊や妖の類なのかもしれない。
まあただ問題があるとすればこれが明日も続いた場合二日連続でネタが無いことについて考察するクソつまんねぇ日記になってしまうので明日はプライベートじゃない書ける何かが起きることを期待するしかないのだが。


それでは

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