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どうせ2日で終わる日記-48-【3/29-4/3】

ども

つい先週まで着込んでいたダウンジャケットを脱ぎ捨て、ワイシャツ一枚でも快適に過ごせるほどには陽のぬくもりを感じるようになったかと思えば、空模様は不機嫌で町は火照った体を冷まそうと春雨に身を沈める。
川沿いに植えられた桜が口裏合わせたのかと思うほど一斉に咲き始めたが、これではいつ散り果てるやもわからない。
別にわざわざ花見をしに行くほど大した並木道ではないが、春の実感も湧かぬ内に筏を漕いでしまうのも風情が無い。

……などと日本人心の存在を見せつけることを書いたが、そもそも家から出ない僕が何を言っても虚しくなるだけで、僕は何も楽しくない。
何故書こうと思ったのかと言えば、このいつもの無味乾燥な日記に少しでも花を添えようと意気込んだからなのだが、意気込むだけ意気込んだら今度は許容量オーバーで穴が開いて途端にしぼんでしまった。
今日はもうこれ以上何かいつもと違うことができそうにないので、時候の挨拶に見せかけた前書きも程々にいつもの等身大の日記に移ることにする。

オタク心を取り戻せ

中学一年生。
僕は初めてオタク文化というものに触れた。
遊びに来ていた友人が僕の部屋でVOCALOID楽曲の『パラジクロロベンゼン』を流し始めた。
その時は「なんだよこの曲(笑)変なの(笑)」と見向きもしなかったのだが、その日から僕の耳にはその曲がこべりついて離れなかった。
そうして、気が付けば僕はいつしかVOCALOIDオタクになっていた。

それから10年が経った。
中学時代、腐るほどニコ動に入り浸り、腐るほどアニメを見た。
高校時代、腐るほど漫画を読んで、腐るほど絵を描いた。
そして今、僕は何もしなくなった。

いや、撤回しよう。
確かに僕は今でも絵を描き続けているし、漫画だって読んでいる。アニメもたまに見ているし、ゲームもすれば、動画も観る。
けれど、あの青春時代僕の胸の内にあった熱意と言うか興奮というか、ともかくそういう行動を駆り立てる何かが無くなってしまった。
だから僕は、何をしても何か満たされる、ということが少なくなった。
昔は時間を忘れるほど絵を描くことに没頭していたのに、今ではその集中力もない。

何か困ることがあるか、と問われればNOと言える。
むしろアニメを見るのに時間を使わず、その間に勉強や研究に打ち込めるのだから、大局的に見ればいい影響の方が大きいだろう。
絵だって趣味の一環で、プロを目指している訳では無いのだから、ちゃんと将来につながることをしたほうが賢いかもしれない。
けれど、どこかで寂しさも感じていた。
あのオタクとしてコンテンツに入り浸っていた日々は、あの感情は、どこへ行ったのだろうか、と。
しかし、かといってわざわざ6時間も使って1クール丸々一気見するほどの気力もなく、燻ったまま大学生活を過ごしてきた。
そんな生活の中でも、相変わらずどこか自分が自分でなくなってしまうような、自分の大事なアイデンティティともいうべき何かが消えてしまうような、そんな恐怖にも焦燥にも似た何かを感じていた。

ところが最近になって、突然やる気と言うか、アニメを見る”体力”みたいなものが湧いてきた。
これまで手を付けてこなかったような作品を見始めたし、来期のアニメも沢山チェックした。今期も前期も全くしていなかったのに。
漫画についても同様だ。先週の日記で多くの漫画を紹介したが、あれはこの潮の干満にも似たこの心情の揺らぎに攫われて漂着したものだ。

自分でも驚くくらい突然の変化なのだが、別に不満はなく、むしろ心地よいまであった。
始めは何となくだった。
何となく、夜眠れないからという理由で見始めた『モブサイコ100』が想像以上に面白く、丁度つき始めていた、吹けば消し飛ぶような僕の小さな火種に酸素を送り込んだ。
そうなれば勢いはとどまることを知らない。
以前から気にはなっていた『夜は短し歩けよ乙女』も『ゾンビランドサガ』も観た。来週は友人と一緒に『まちカドまぞく』を観る予定だ。

この心情の変化は僕の創作意欲も刺激した。
絵を描く時間が増え、そして描きたいものも増えた。
これについて一つ考察がある。
僕は、創作はいつも創作物から始まるのではないかと考えている。
自身の心に詰めた誰かの創作物は、ところてんのように僕らの心から創作物を押し出す。
ぼくらの創作物を受け止める心の許容量を超えた時、それが創作物として飛び出てくる。
しかし、そこから新たに創作物を入れなければ、心の中にある創作物は消化され入れても入れても何も出てこない飢餓状態となる。
小さい頃は胃袋も小さく満腹になるまでに時間はかからなかった。
ところが、いつしか大喰らいとなった大人の心を満たすには時間がかかる。
お腹が空いているから目の前にどれだけ美味しそうなものが置かれても、食指も動かない。箸さえ持つ気力もない。
僕の心の内にある創作物は目減りしていくばかりで、何とか捻出しようとも在庫切れには何者もかなわない。
こういう時、一番必要なのは無理にでも手を動かし、創作物を補給することだ。
一度手が動き口に運べれば、後はがむしゃらに腹を満たすまで食べ続ける。
人が創作物をどこで生み出すのか、という問いには、こういう答えを出せるのではないか。そんなことを僕のここ最近の体験から言えるのではなかろうか。

まあただ正直、仮説も過去も前置きも今は比較的どうでもいい。
大事なのは今僕が昔最高に幸せを感じていたあの時期と同じ気持ちでいることだ。
僕の好きなモノにも波があるように、もしかしたらこの気持ちにも波があって、今がその時期なだけかもしれない。
けれど、同じ馬鹿ならウンチャララと言うように、僕もどうせならしばらくは僕の気持ちに素直に従ってみたい、と、そう感じた。


なんだかあやふやな、とりとめもない話になってしまった。
本当は今週観たアニメと称して上述したアニメの感想でも述べようかとも考えたのだが、先週とやっていることがあまり変わらず見栄えが何となく良くないと思ったので、こうしたもっと漠然とした話に切り替えたのだ。
まあそれが良かったか悪かったかは置いておくとして、こうした試みに踏み込めるのも、気持ちの変化の副産物かもしれない。


それでは

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