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どうせ2日で終わる日記-51-【4/25-5/1】

マナ。

内訳の「内情」が気になる

オタクなら誰しも一度は国内外のアニメ産業の市場規模は気になり、調べるだろう。
かく言う僕も、「アニメ産業がジャパンの一大輸出品だなんて言われているけど実際のところどうなんだ?」という疑問がふと湧きあがり、何となしに調べていた。
すると、こんなページに出会った。

国内の需要を知るためにはどれだけのファンがいるのか、つまりおおよその需要を調べる必要もあるだろうということでたどり着いたのがこのアニメマーケティング白書だ。
角川アスキー総合研究所はKADOKAWAグループの傘下企業のようだが、過分にして知らなかった。雰囲気的には野村総研のようなものなのだろうか?

まあそれはともかく、国内事情を探るため――とはいいつつも半分暇つぶしのような感覚で見ていたため、僕はこのサイトを流し見していた。
そして最後の項目に差し掛かりいよいよページも読み終えんとしていた時、衝撃的な内容が目に入った。
『ヒットを支えた"ライトなアニメファン"』という項目、そこには週に1~2本程度のアニメを見る層がアニメ視聴者に多いことに注目して、それをライトな層と定義しその内20代が見ているコンテンツを調査した、という内容が記されていた。
そして、僕は目を疑った。
右側にはライト層の試聴するアニメランキングが5位まで記されていたのだが、その1位には

『WWW.WORKING!!』

の文字が輝いていたのだ。

……

いやまて、待て待て。
ワーキング?何故????
普通こういうのって一位は『ドラえもん』だとか『サザエさん』だとか『ちびまる子ちゃん』だとかじゃないのか?何故???
一歩譲ってもジャンプ系アニメじゃない???ワーキングって……??

聞き込みしたライト層が意外とオタクばかりなのかもしれない、とも思ったが二位には『サザエさん』の文字があり、どうやら一般的な層に対して行われた調査らしいことは何となく把握できる。
だとしたら余計に何故?????

いや、『WORKING!』が面白いのは分かる。そこは否定するわけではない。面白いと思う。
しかし、こういう調査の定石、というかあるあるとして、いわゆる非オタ層に聞いた場合基本的には上記の作品が挙げられるものでは無いのか?一歩譲ってもニチアサ系列とか夕方のジャンプ作品とかじゃないか?20代だからか???20代は会社でこき使われて深夜アニメしか見る時間が無いのか???もしかして調査は秋葉原で実施した??アニメ関連の調査を手伝ってくれる人を募集したからバイアスがかかった???

いくら考えても詳細な情報は書かれていないので何とも言い難い。
恐らく完全版の白書にはいわゆるマテメソが詳細に記されているのだろうが、少なくともこのページのみではそこを推し量ることは出来ない。
しかし、こうなってくると気になってしまう。
その数字の内訳の「内情」、つまり「誰にいつどこでどのような調査方法でどのような統計処理を行った結果この数字が得られたのか」ということが、だ。
勿論、それに関する完璧な情報はこの調査を行った本人にしか分からない。
どれだけ正確に記述しようとも文字に起こした段階で何かしらのデータが欠落することになるからだ。
しかし、それでも気になるものは気になる。自分の想定から大きく外れていたからだ。

こういう状況は往々にしてある気がする。
これは何もインターネットの記事のような情報の透過性の低いものだけではない。
例えば論文を読んでいても同じことは生じる。
論文には勿論マテメソ、つまり材料と方法がそれなりに詳細に記されている。
しかし、一般的にこれをどこまで書くかはその分野の「常識」や本人、査読者の裁量に依るところが大きく、どの論文でも必ずこれは書かなければならない、というものは無いと言っていいだろう。
だから、自分の専門分野で実験にも精通している分野ならまだしも、関わりの薄い分野の論文などを読むと、在野の人間には常識の手法については軽くしか触れられていない、そもそも書いていない、ということに往々にして遭遇する。

論文のような情報の透明性の高い媒体でさえそうなのだ。一般向けの記事や書籍などは言うまでもない。
このような状況に遭遇した時、隔靴掻痒の感に陥る。

「感覚的におかしくないか?え?これ著者はおかしいと感じなかったの?これが普通なの??僕の認識がおかしいの??書いてないということはおかしいのか???うわーーーー!!!!!!!!!!!!!」

と発狂しては手の届かないという事実は揺るがずに諦めざるを得ない。

書物は世界を広げる、というのはありきたりな言説だが、真実であると僕は確信している。
しかし、書物から得られる足場はどのレベルにせよ何かしらの欠落がある。
自分の目で見たものが真実である、とは言わないが、自分で見てきたものへの信頼は厚く、伝聞した知識より揺るぎ難いものだと思っている。
そうした体験によって生まれた鋼鉄製の足場に比べ、書物などから得た知識はその径に差こそあれど、どれも必ず穴の開いた網のような足場で成り立っているように感じる、感じてしまう。
だから、ある時つい不安になり自分の足元を見て、その網目の大きさ、その先に広がるどこまでも続く奈落に恐怖を覚え、早くその穴をふさぎたいと思うのだ。と、僕は考察する。
こんな僕の世界観を述べても仕方が無いと思うが、少なくとも僕はそう感じてしまう。

……ただ、一方で自分が論文を書く立場になってわかったことだが、情報の明示は面倒くさい。
できることなら「当たり前の常識」は省いて冗長な文章を極力避けて綺麗な論文に仕上げたいと感じない日は無い。
それは僕以外の多くが思っていることかと推察している。
だからこそ、僕はこの恐怖を乗り越え、しかしメメントモリという言葉を忘れず、たまに下を向いては誤謬への恐怖を忘れず、目先の崖に網を広げていきたい。
きっと沢山網を重ねれば、もはや鋼鉄製の足場よりも強固な繊維の足場となることを信じて。


オタク☆リサーチの体験談をしていただけなのにかなりの文字数に到達してしまった。
毎回2500文字程度が(僕が継続する上において)最適化された形式であることは体験的にわかっているので、今回はこのワントピックを終えたところで筆を置くことにする。
どうでもいいことだが、「筆を置く」という表現はお洒落で誰でも著述家になれたような気がして便利な言葉だとは思うのだが、あまりにもお洒落で使い勝手が良いせいで既に陳腐化された表現になっている気がしてならないため、本来ならば使いたくないひねくれた自分がいるのだが、今回ばかりはおさまりが良かったので使わせていただいた。
どうか有識者がいらしたらコメント欄でこれに替わる良い表現を教えて欲しい。教えてくれなくてもいいけど、教えてくれたら僕が嬉しい。

それでは。

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