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どうせ2日で終わる日記【23日目】

やった。
とうとうやってしまった。
いつかやってしまうだろうと思ってはいたが、まさかそれが昨日だったとは思ってもいなかった。

という訳で昨日は日記の更新を忘れてしまって申し訳ありません。
これを毎回読んでいる人とか楽しみにしている人がいるとか、そういったことがある無しに関わらず、これは謝罪すべき案件だ。何せ明文化した約束を反故にしてしまったのだから。
そのままフェードアウトするのならば別段そういった謝罪などはせずとも二度と顔を合わせないのだから別段気にする必要もなかろう。
ただ、今回は「次回から気を付けます」案件であるため、謝罪という何かしらの反省の意を示す必要がある。

改めて、日記の更新を忘れてしまい申し訳ありません。
別段大変な理由などなく、単純に忘れていました。
本当に申し訳ありませんでした。
こんだけ誌面を割いて誠心誠意謝るというパフォーマンスを行うことが今後の信頼回復にもつながるので是非読者諸君もこのテクニックを身に着けて帰ってもらいたい。
……あ、この度は本当にご迷惑ご心配をおかけし大変申し訳ございませんでした。以後再発防止に心から努めたいと存じます。

……よし。

デジタルな季節

気付けばもう12月。
街路樹はすっかり葉を落としてその素肌を寒空の下に曝け出し、我々の呼吸は可視化され、駅前のモミの木と鉄のアーチは色とりどりのLEDを身に纏わされている。
空気もやけにパリッと乾ききっており、一度口を開けば流血間違いなしだ。
特に夜は我が家の冷蔵庫といい勝負をするほどに冷え込む。このままいけばあと半年もすれば我が家の冷凍庫にも勝るのではないだろうかという勢いだ。

ここ一月ほどで急激に冷え込み始めたように思える。
まあ太陽の灯りが無ければ3Kの空間に接する我々の天体は雲と大気という守りすら破られ熱が放射され続けてしまう。
一日の半分以上がそんな状態である以上、寒くなるのはまあ必然だし、わざわざこんなことを書かずともそれは「四季」として我々が常日頃感知し多用する一つの語で説明がつくのだ。
僕とてそれはかれこれ20数年間経験したことなのでこんな回りくどく説明せずとも理解を共有することが出来る。

ただ、今年の冬は僕にとって少し違った。

何が違うかといえば、温度と天体の動き以外での季節の移り変わりの感知をしている。
意味が分からないと思うのでもっと簡潔に言うと、エアコンをつける時間が日に日に早くなっている。

僕の部屋の間取りは南向きに大きな窓がついているため、日中は晴れていれば強い日差しが差し込みそれだけで暖が取れるのでエアコンいらずだ。
ただし、それも日中の話であり、夜になれば急速に冷え込んだ外気が窓の隙間や熱伝導率の高い金属部が部屋の熱気を奪うのである。

僕は今日は謝罪の意味を込めて早めに日記を書いている。
今これを書いている時刻は午後四時半だ。普段は夜更けから書き始めるので6時間程早い作業開始ということになる。
そして僕は今これを書きながらエアコンを付けた。
理由は単純で部屋が寒いからだ。
先ほどまでは部屋がエアコンなしでも暖かかったのだが、今はそれが耐えられないくらいには冷え込んでしまった。

部屋の温度は諸要因の持つ温度の収支で決まることはわかると思う。
僕の部屋の場合、エアコンを除けば主となる要因は差し込む陽と外気温だ。
太陽がどれだけ燦々と部屋を照り付けていようとも、外気が冷え込んでいれば寒いものは寒い。それが強いほど部屋の温度も奪われていく。
だから最も冷え込む1月や2月なんかは僕は一日中エアコンをつけている。
ただ、このくらいの時期は日中の日差しが良い感じなので昼間は漬けていないことが多い。

つい先週まで、エアコンをつけるのは決まって夜中だった。
ご飯も食べ終え風呂も上がった午後10時程。そのくらいからエアコンをつけ始める。
それが、つい一昨日は8時にエアコンを付けた。
昨日は実は夜いなかった(それも日記の更新を忘れた理由の一つ)ためデータは無いが、今日4時に付けた。
これが意味することはつまり、エアコンをつける時間が段階的に早くなっているのだ。

だからどうした、当たり前だろ、と思うかもしれない。そんな当たり前のことを言うのにこれだけの文章を書いたのか、と怒る人もいるかもしれない。それは尤もだ。尤もだが怒る人は怖いのでできれば怒らないで欲しい。
ともかく、僕は気が付いた。エアコンの始動時間がパラメータになることに。
そういうデータを扱っている人にとっては当たり前だったかもしれないが、僕にとっては小さな気付きだった。

生活の中で何かの動態を観察し法則を見つけそれを予測するためのデータというものは何でもあるだろう。
天気などはその最たる例で、四字熟語で「観天望気」などという言葉があるくらいだ。
この観天望気という言葉は基本的には自然現象に対してしか使われないのだが、このエアコンをつける時間、というのも現代的な観天望気なのではないだろうか、ということを提案したい。
勿論原初の意味合いは異なるだろうが、都市の発達著しい昨今において都心で生活をしていて別につばめを見る機会もなければ木々の移ろいを見ることもない。
ということはつまり、本来の意味での観天望気は我々都会に住む人間にとっては味わうことのできないものになってしまっているのだ。

僕はそれに否、と札を突きつけたい。

我々にも観天望気という風情を味わう権利があると。

自然現象に権利もくそも無いだろという指摘はごもっともだし、言葉の綾のようなものなので許してほしいが、僕は味わいたい。日本人の心として、四季の移ろいや日替わりの天気を直接的、つまり天文学的な現象や地球科学的な現象ではなく、間接的な現象を通じて味わいたいのだ。
間接的というのは得てして人間の風情の心をくすぐるものだろう?
「もすうぐクリスマスだね」といわれるよりも「おもちゃ屋の在庫が増え始めたよ」という方が風情だとは思わないか?

……まあともかく、僕は少なくともそういった間接的という風情を味わいたい。
だからこそ、ここに今気が付いた「エアコンをつける時間の早期化」という現象を現代版観天望気に加えたいのだ。
まあ別段誰の許可を取る必要もなく、これを広めたいという意欲が強い訳では無いため、僕が勝手に使えばそれでいいと思うのでこれから使って行こうと思う。

さて、少し話は変わるがタイトルの「デジタルな季節」という言葉を見て、どう思っただろうか。
デジタルという言葉は使われて久しい。
別段僕は言語学に精通している訳でもなければITに通じている訳でもないため、この言葉を論じるのはいささか気が引けるが、僕なりの解釈に基づけばこの「デジタル」という言葉が安直に使われすぎているようにも思える。
勝手に「観天望気」という言葉に新しい意味を付け加えたやつが何を言ってやがる、と思うかもしれないが、単純に僕のデジタルというもののイメージと世間一般でのデジタルという言葉の用例が少し解離している、という程度のものでその意味を変えようとか、僕のイメージ通りにしろ、などという主張は毛頭するつもりはないのでそこは留意していただきたい。

デジタル、つまり機械的なイメージで語られるこの言葉は、一般的な解釈をすれば「1か0か」とか「全か無か」とかそういったイメージで使われているように思う。
勿論デジタルというものをコンピュータ的なものをイメージして語るのならそれは僕のイメージとも整合性が取れる。
ただし、ここに「アナログ」という言葉が加わり、対比構造を取るとそれは途端に僕のイメージと解離し始める。
というのも、僕はこのアナログとデジタルが対比構造を取れるとは思っていないのだ。
例えば機械のアームがモノを運ぶとしよう。この時その動作を見て「これはアナログか、もしくはデジタルか」を決めるとする。そしてもう一方で義手を使って人がモノを運んだ時、「これはアナログか、デジタルか」を決めることがすんなりとできるだろうか?
勿論何かしらの結論に達することは出来ると思うが、100人中100人同じ結論に達するだろうか?
あまりいい例えではなかったかもしれないが、僕が言いたいのはデジタルとアナログの連続性だ。
何処で聞いたか忘れたが、似たような主張をしている人がいて「その通り!」と膝を打った記憶がある。
つまり、デジタル的な「0か1か」の変化も塵積理論で連続的な変化――つまりアナログ的な変化になるということだ。区分求積法と積分の考え方に少し近いかもしれない。ニューロンの全か無かの法則はまさしくこれだ。

僕の主張は結局、デジタルとアナログは連続的なモノで、対比構造ではなく集合のような構造を取るのではないか、ということだ。だから、これが対比されている状況はどうにもむず痒い。
光の波長は連続なのに赤と青は対比するじゃないか、という理屈は通る。
通るのであまりそこについては触れないで欲しい。結局僕の感覚の問題なので、全部が全部そうである、という訳ではない。
強いて言うなら色そのものに言及しているならそれでいいが、波長の話に基づく色の話で対比構造だよね、という話は理屈が通じないように、デジタルとアナログではその構造について触れている以上そこの対比は取れないよね、という主張が可能じゃないかと考えている。

まあその反論云々は置いておいて、話を戻す。

僕の今回のタイトル「デジタルな季節」は、今のインターネットの話題からすると「どうせ『令和ちゃん季節管理下手すぎてスイッチのオンオフしかないやんなwwwwっうぇwwwww』みたいな主張だろはいはいワロスワロス」みたいに考えられたかもしれないがそれは違う。まあそれでもいいが。
僕の今回の一番の主張はこれまでの説明でもわかる通り、「季節の遷移というアナログ的な変化の非線形式をエアコンという”デジタル機器”で微分するとデジタル的な数値変化になって増減表よろしく季節の遷移がわかるよね」ということだ。

今これをこうして書いている間もエアコンは付けている。
外はすっかり真っ暗でいかにも凍えそうな風がビュービューと吹いている。
自然もへったくれもないような環境で今これを書いているが、こうした非自然的な環境でも観天望気をして風情を味わいたい、と思うのは僕が和歌の国日本で生まれ育った人間だからなのだろうか?


それでは。

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