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どうせ2日で終わる日記-35-【12/18-12/26】

2021年最後の日記。
こう書くと感動も一入……などと書きたくなるのだが、如何せんこの日記が始まってからまだ一カ月や二カ月そこらしか経過していないためそこまで大きな感動は無い。
ただ、やはりここまで継続できたのはそっと記事にいいねを付けてくれたり、閲覧してくれる人がいたということも大きい。
この日記を読んでくれた全noteユーザーに感謝しつつ、今年最後の日記をここに記す。

今週読んだ本

前回に引き続き最初はこのコーナーだ。
僕は読書は好きだが読書家という訳ではない。
ただ、先週と今週はそれなりに時間が無いのにもかかわらず愚かにも読書に耽ってしまったため今週もここにこのコーナーが何食わぬ顔で鎮座している。恐らく一月に入ったら卒業研究がいよいよ本当に佳境に入る為、このコーナーは絶滅する。

今週はこの本を読んだ。

内容はタイトル通り、鳥類学者の著者が恐竜について語る、というシンプルな内容である。
著者の川上先生はよくNHKの「夏休みこども科学電話相談」に出演されているのでご存じの方も多いのではないだろうか。
そんな先生が恐竜から進化したとされる鳥類を研究する学者の視点から、鳥類の知見に基づいた恐竜像を妄想する、そんな具合の本だ。

この本も前回に引き続き積読本だ。
僕の記憶が正しければ大学一年生の頃に買った記憶がある。
夏休みに絵を描きながらNHKのそのラジオを聞くのを日課にしていたのだが、そこでこの先生が出演し気になって調べてこの書籍に行きついた記憶がある。

内容はそこまで難しいことは無く、平易な文章で書かれているため非常に読みやすい。
それに加えて情報量も多いため、「へぇ~~」となることが多い。

生物オタクを名乗る自分であるが、恥ずかしながら恐竜に関してはこれっきしも知らない。ついでに鳥類に関してもあまり詳しくない。
従って、そんな自分にとっては初耳の情報がこれでもかというくらい詰め込まれており、非常に読み応えはあった。

ただ、個人的な感想ではあるが、一つ気になるところがあった。
それは著者の文体だ。

どう気になるのかというと、この著者の文体、どうにもこうにも自分のnote記事の文体に似ているのだ。
つまりちょっと俗的な比喩を隠喩的に用いたり言葉遊びをしてみたりおやじギャグ的なノリで文章を続けたりするような――つまり文章に謎の装飾がはちゃめちゃに散りばめられているのだ。
別に悪いことだとは言っていない。
単純に僕の文章を客観視して観ているようで、「あ、僕の文章ってこんな感じで読まれてるんだ……」的な空気を自分で感じただけだ。悪い意味じゃない。決して。

ただ、上に貼ったamazonのレビューの中に「著者特有のジョークが目立ち、少し鼻につく」といったような感想が投稿されているのを目にしたときは何故だか僕も少し落ち込んだ。

まあともかく、内容は情報量の多さから非常に読み応えのあるものとなっているので非常にお勧めできる。
恐竜オタクの人からすればもしかしたら「常識だろ」と思うようなことばかりなのかもしれないが、少なくとも恐竜ビギナーの僕からすれば非常に知識欲を満たしてくれる内容だったし、恐竜について少しだけわかったような気がした。気がしただけだが。

先週も今週も、程度の差はあれど僕の専門からは多少離れている分野の書籍だった。
ただ、こうしたものの中から新たな視点を得られるのは間違いなく、また自分の知見がグッと広がる体験をできるのもこうした専門分野外の書籍ならではだと思うので、良い本が読めたと思っている。

クリスマスが今年も行ってしまった……

僕はクリスマスが好きだ。

一般的に僕のようなキ・モ=ポタク(1403-1467)は、クリスマスになればやれ「性なる夜(笑)」だのやれ「メリークルシミマス」だの言って、この特別な日を暖かい部屋で机を囲みながら共に楽しむ相手がいる人種への恨みを募らせるものではあるのだが、それでも僕はクリスマスが好きであると胸を張って言える。

これはいつか話したかもしれないが、僕は空間が好きだ。

日が昇る前の一番静かな街が好きだし、白み始めた空を背景に背の高いビルが太陽光を反射するその様も好きだし、人でごった返す年末のせわしない商店街も好きだし、風が吹き抜ける川沿いも、夜の凍り付いた陸橋も、不連続な点灯が並ぶ夕方の駅前も好きだ。
とにかく、僕はそういった空間が好きだ。
そういう意味で、僕にとってクリスマスというこの一年に一度の祭日は特別な意味を持つ。
それなりの歴史と人々の持つクリスマスへの特別感が冬の空っ風によって混ぜ込まれて一つになった、あの少し浮かれた町の匂いはこの季節しか感じることが出来ない。
あれだけ多様化された街並みが一様にクリスマス色に染め上げられる様は見ていて面白いし、幼心の残滓なのか、やはりどこかワクワクする。

そういう訳で、僕は今年もなんだかんだでワクワクしながらクリスマスを待っていた。
しかし、ふと気を抜いて、気がついたらいつの間にか26日になっていた。
外に出る機会も少なく、また出たとしてもあれこれ寄り道をするようなこともしなかった僕は、クリスマスの影に気が付くことも無く、いつの間にか背後に忍び寄られたと思ったら今度は僕を置いて行ってしまった。

あれだけ楽しみにしていたクリスマスはあっさりと終わってしまった。
勿論ケーキもチキンも食べたし、それなりに楽しんではいたのだが、もう少し色んな雰囲気を味わいたかった、というのが正直な感想だ。

こうした雰囲気の良さは、僕の経験上ではあるが、受動的にしか味わうことが出来ない。
ある瞬間ふと「あ、これいいな」と感じることで初めてその空間の持つ特有の空気を認識できるように思えるのだ。
意識的に「ここはどれがいいのだろう」などと考えるとどうしても先入観をもってしまい、純粋な空気感を楽しめないように思える。
まあどれも僕の推測、というか浅い経験則でしかないのだが、少なくとも僕は受動的な感知以上に良い方法を知らないのでこれが最善であると思っている。

だからこそ、僕は外出の少なかった今年のクリスマスに少し「期待」していたのかもしれない。
家の中で味わう楽しみもあるが、外で味わう楽しみに比べたらどうしても量的に負けてしまう。
したがって、今年はそんな経験も少なく、必然的に特別感のあるクリスマスに期待していたのかもしれない。この日なら今年を締めくくる感動を僕に与えてくれるかもしれないと。
しかし、その空気感は受動的にしか訪れないので、僕はクリスマスを純粋に味わうことが出来ずに過ごしてしまったのかもしれない。

全ては僕の何の根拠もない憶測でしかないため――自分の事ではあるが――、はっきりとしたことは分からない。
だが、少なくとも来年はもう少し色んな所に気軽に行けるようになればいいな、とこのご時世においてありきたりな感想を述べて今年の日記の締めとする。


なんだか当たり障りのない、日記かどうかも怪しいような感想で2021年を終えることになってしまったが、まあこれもこの日記の特徴だと捉えてもらうことにしよう。

それでは、良いお年を。

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