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どうせ2日で終わる日記-37-【1/3-1/9】

ども。
そろそろ卒論製作も切羽詰まってくる頃合いではあるが、人間不思議なもので、こういう切羽詰まった時期に限って絵の気分的な調子は良いし、クイズにも熱が入りつつある。
こうして興が乗っている時にやるのが一番費用対効果は良いのだが、悲しいかな僕にはやらねばならぬことがあるのだ……すまんな僕の趣味〈ライフワーク〉たちよ……
などと言いながら結局卒論は程々に気が付けば絵を描いてクイズに勤しんでいる自分がいることを少しばかり情けなく思ったりしている今日この頃だ。
ま、息抜きだしな(確認)
そう、息抜きだから(認識)
うん、息抜きだからいいよな、別に(確信)
息抜きだからいいだろ!!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(反逆)

冬と雪と思い出と一考察

今週の木曜日の午後、東京は大雪に見舞われた。
今年一番目の雪は、ボタボタのボタ雪ばかりの東京にしては珍しく、百人中百人が「う~ん、これは粉雪!w」と評するほどに柔らかな感触の粉雪であったが、しかしほんの1時間程度でその粉雪にコンクリートも木々も何もかもが覆われていく様はその雪の勢いを物語っていた。

そんな雪の日、僕は不幸にもバイトのシフトを入れており、交通網の麻痺も目前という大雪の中出勤しなければならなかった。
雪を見るのは好きだし、窓の外で雪が降り積もる様を眺めるのは幸せすら感じるのだが、用事がある日に降られるのは勘弁願いたい。
そんなことを考えながら、不機嫌な僕は電車に乗り、バスに乗り、肩の雪を二分に一回振り払いながらバイト先へと向かった。

しかし、その道を行く、いや征くのは困難を極めた。
森の中に獣道があるように、雪の積もった歩道にも獣道ならぬ人道が形成されていた。ただ、獣道はそれが形成された場所が通りやすくなるのに対し、雪道の人道は、人々に踏み固められ、融解した雪が再度結晶化することで形成された氷で覆われていた。
つまり、危険なのだ。
僕がよく転ぶ人間であるのはこの日記でも何回か話した記憶がある。自宅の階段で転ぶし、横断歩道の白線で転ぶ。
だからこそ人の通らなかったまだ新雪積もる道の端を歩くのだが、いかんせんその時間で既に3cmは積もっていたせいで、非常に歩きにくい。年末に怪我をして未だ若干の痛みを残す右足親指を庇いながらとなると尚更だ。

問題は道だけでは無い。
雪の進軍中にも降り頻る雪そのものも問題を引き起こす。
吹き付けるのだ、体に。
あのちべたい雪が、頭に、顔に、肩に、腕に。
ちべて〜〜雪は付着する瞬間に体温を奪うだけでなく、雪から液体へと態々僕の体温を奪って態を変化させるのだ。変化するな。
リュックにも降り積もって最悪だ。じわじわと溶け出した雪がリュックの布をじわじわと侵食していく。
不幸中の幸いと言うべきか、雪は粉雪であったため、見た目に関しては雪の積もった頭は「雪が積もった」程度でしかなかった。これがぼた雪だったら恐らく「カラスの大群の下で反復横跳びをしてた人」になっていただろう。

そんなこんなで幾重にもおよぶ苦難をなんとか持ち前のやる気と体温をもってして乗り越え、バイト先に辿り着いた。
しかし、そんな僕の艱難辛苦をあざ笑うかの如く、現実という名の悪魔は足元のタイルを引っぺがした。

無くなったのだ、バイトが。

僕の到着した瞬間に。

僕の到着する30秒前に来た連絡は、簡潔に言えば、
「雪が降ったから今日はもう終わりだよ~ん、ゴメンネ^^;」
とのことだった。

この雪の中果たしてバイト終わりまで電車は動いているだろうか、僕はちゃんと家に帰れるのだろうか、帰宅叶わず悴むような寒さのバイト先で部屋の四隅で毛布にくるまりつつ4人で肩をたたき合う遊びに勤しむことにならないだろうか、などという心配を抱いていた僕にすれば確かに早めに帰れるのはありがたい。
ありがたいが、だったらそういう事は早めに言って欲しい。突然の大雪だったということもあり仕方ない部分もあるだろうが、これは余りにもだ。噫無情也。ユーゴーもびっくりだ。
まあ文句を言っても仕方がないし、交通費は出るし、これでもきっと世間的には早い方なのだろうと諦めて僕は帰路に就いた。


という苦労話があった訳だが、この話を踏まえたうえで、僕は雪が好きだ。

別に帰宅途中に転倒し頭を打ち付け記憶を失った訳じゃないし、雪の精に一目惚れした訳でもない。
確かに東京で暮らしていて、雪の中「不便だな」と思ったことは幾度とあれど、「便利だな」と思ったことなど一度もない。せいぜいクーラーボックスの中身が長持ちするのと学校が休みになる程度だ。
ただ、僕の心象として、雪の降るような気温の低い日は好ましいのもまた事実だ。
この趣向は恐らく僕のイラストにも表れていて、冬のイラストを描く時、大抵雪を直接描くか、それなりに寒そうな表現を多用する。
凍てつくような気温の中、張り詰めた空気漂う空が紫色を帯び始め、自分の吐く息の白さがわかるようになる瞬間が好きだし、雪が降りしきり街から彩が消え白と灰色の世界となった昼下がりが好きだし、窓の外からだんだんと勢いを増していく雪を駐車場の街灯が照らしている様も好きだし、夜中の内に雪がやみ、朝家を出た時に暖かな日の光と地面から伝わる雪の冷気に挟まれるあの感触が好きだ。

僕がそうした「空間」が好きだという話はどこかでしたような記憶があるが、恐らくこれもその延長線上だろうと思っている。
夕日の沈む海岸だとか、一面の銀世界だとか、彩に溢れた紅葉が飾る山々だとか、一般的に「ロマンチック」だと言われる世界も勿論僕は好きだ。
ただ、これは推測でしかないのだが、恐らく僕はこのストライクゾーンが他人よりも広いような感じがする。
良く言えば「感受性が豊か」なのだろうが、恐らく僕の場合は悪く言って「なんでも感動するアホ」の方が適切なような気がする。
別に僕も見境がない訳じゃないのだが、正直なんてことのない小径でも勝手に良い方向に解釈して広げた妄想と共に感動する自信がある。

ただ、別に僕はこれが悪いことだとは自分では思っていない。絵を描く時にテーマが決めやすいし、自分は楽しいからだ。
だからここではその是非は問わない。
ただ、僕の中でずっと引っかかっているのが、この感覚の起源だ。

僕のこの「空間好き」はどこから来たのだろうか、という問いだ。

これに対する答えは出てこない。
少し記憶をさかのぼると、小学生の頃は少なくともここまででは無かった気がする。
反対に大学生の頃はと問われればそれは恐らく大学入学当初の時点でこうした空間好きは発動していた気がする。
となるとこの転換期は中学生か高校生の頃、ということになる。
しかし、これも結局僕の記憶頼りなので、もしかしたら小学生の頃からそうした感性があったのかもしれないし、大学入学時はそうした感性が実は無かったかもしれない。グラデーションのように段々と芽ばえ、切っ掛けのようなものは無かった可能性さえある。
とはいえ何一つ手掛かりがあるわけではない。僕もいくつか怪しいと睨んでいるものがある。

まずは魚だ。
この日記を何回か読んでくれている人なら知っているだろうが、僕は魚が大好きだ。それこそ物心つく前から魚に興味があり、なんならその勢いで今大学で魚を研究しているくらいには魚が好きだ。
そんな僕だから、海や川といった水回りの自然は結構小さい頃から好きだった。
それに、彩豊かな体色を持つ生物や深海生物の発光という生物学の妙を目にした僕は、幼心ながら「綺麗だな」と思っていた記憶はある。
中学生の頃は熱帯魚に惚れ込み、関連書籍を読み漁り、動画を一日中眺めていた記憶がある。
そんな僕だから、小さい頃から「綺麗だな」というような感覚を頻繁に使っていたために、そのアンテナが拡大され今のような感性になったことは考えられるような気がする。

次に東方だ。
僕が中学生の頃からこれまでずっと好きで居続けている作品の一つだ。
この作品は舞台が幻想郷という自然豊かな地であるため、作品の内容も必然的にそうした描写が多くなる傾向にある。
そういう訳で、僕の自然好きに拍車がかかった可能性がある。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの対義語のような状態だ。おおよそ「坊主好みて袈裟まで好く」といったような状態だろうか。適切な語を僕は知らない。
そして、何よりこれが明確に記憶に残っているのだが、僕が東方の描写で非常に感動した箇所が存在する。
それが「東方深秘録」のラスボス、宇佐見菫子との戦闘シーンだ。
何が感動したかって、この背景に僕は大変感動した。
このシーンは東方のキャラクターたちが現代の日本に現れ現代人である宇佐見菫子と対戦するシーンなのだが、その背景が摩天楼連なる大都会の上空なのだ。
ビルが迫りくるように流れてゆくだけの背景なのだが、その時明確に僕はこのシチュエーションを「良い」と感じた。
これも一種のギャップ萌えなのかは分からないが、ともかく東京生まれ東京育ちで腐るほどビル街を見慣れているはずの僕はそこに感動を覚えた。
これが先なのか感性が先なのかは分からない。しかし、この記憶もまた何か一つの手がかりになるような気がしている。

そして最後にもう一つ、けもフレだ。
これは、どちらかといえばけもフレが流行っていた時期、といった方が適切かもしれない。
僕が丁度けもフレにハマったのは1期9話放送時あたりだ。たしかその時ニコニコでけもフレの1話から8話までの振り返り放送をやっており、当時高校二年生だった僕は余りにもオタク友達の間で話題になっているからという理由で見始めたのだ。そしてそれが切っ掛けで今日この日まで未だにコンテンツを追いかけ続けている。
この時のけもフレへのハマり方は正直異常だった。
受験期であるにもかかわらず、年中けもフレのことばかり考えていたし、なんならイベントにも足を運んでいた。
これには、自慢で申し訳ないが勉強はそこまで苦手ではないので、受験にあまり切羽詰まっていなかったという別の理由もあるのだが、それを抜きにしても当時のお小遣いのほとんど全てをけもフレに費やす程にはのめりこんでいた。
同じようなハマり方は中学二年の頃に東方でもしたのだが、自由に使えるお金が増えた高校生の方が散財に精が出ていた気がする。
そんなけもフレにハマっていた高校三年生の頃なのだが、受験が終わり、あとは大学までゆっくりできるという冬、僕は毎日のほとんどをけもフレ一色で過ごしていた。
上であんなことを書いたが、それでも一応受験生で、予備校にも通っていた訳だから、それなりに使える時間というものには制限があった。
しかし、受験という名の鎖から解放された犬、おきあみはもう止まることを知らない。
丁度この頃はなか卯でどんぶり一杯につきカードが一枚貰え、それを10枚集めるとなか卯特製けもフレミニどんぶりが貰えるというキャンペーンがやっていたし、ファミリーマートではジャパリまんが販売されていたし、けものフレンズぱびりおんもリリース直後であり、4月のけもフレのオンリー即売会に向けた原稿も作成していた。
つまり、けもフレづくしだったのだ。
そんな訳で、僕にとってこの時期はたった一、二カ月程度しかなかったにも関わらず、今でも鮮明に覚えているくらいには楽しく濃密な時期だった。
そして、こうした思い出があったからこそ、僕は冬という季節が好きなのではないか、という仮説を考えている。
冬の寒い朝は今でもたまに思い出すのだ。
早起きしなくてもいいのに一人早起きし、近所のファミマまで自転車を飛ばし、そこで買ったジャパリまんをコンビニの外で寒さに身を震わしながら食べたあの記憶を。じんわりと暖かなジャパリまんがカチコチに凍り付いた指先をゆっくりと溶かしていくあの感触と時間を。
なんてことのない些細な時間ではあったが、それは僕にとって今でも記憶に残っているほどに幸せな時間だった。
そういう幸せな時間を身の回りの色々な場所で過ごしたからこそ、条件反射的に僕はあらゆる「空間」に幸せを感じるようになったのではないか、そんなことを何となく考えている。

これまで3つの仮説を挙げたが、正直この内どれが正解かは分からない。
もしかしたら全部違う可能性もある。
しかし、現状僕の中でどれが正解かと言われれば、恐らくこれらの候補全てが正解であると答える。
こうした些細な幸せの積み重ねが、直接関係の無いものにまで伝播し、新たな幸せを創造しているのではないかと考えている。
随分とロマンティシズムに酔った考え方だと我ながらに思ってはいるが、これは僕の願望でもある。
だからこそ、たとえ小さな幸せでもそれを見つけた時は出来るだけ心の中で増幅させて記憶にとどめたいし、どんな些細な空間でもそれに感動し続けたいと考えている。

なんだか最後は少し――いやかなり臭いことを言ってしまった。
他人と自分がどれほど違くて同じなのかを分からない状態でこんなことを書いて、もし仮に他の人も似たようなものだったら、きっとこの日記は隠すべき歴史として認定されることになるだろう。
ただ、日記としての原義に返った時、今この時僕が考えていることを5年後10年後の僕も同じように持っているとは限らないことを考えると、こうした今僕の中にある未熟な何かも残しておいた方が有用なのではないだろうか。
それが、本来の日記なのではないだろうか。
そうは思わないか?

因みに、僕はそうは思わない。

何故ならそうならばわざわざインターネットに公開せずに手元にオフラインで残しておけばいいからだ。Wordにでも書いておけばいいのだ。
こうしてわざわざデジタルタトゥーとして残しているのは、どちらかといえば共感を探しているといった方が答えに近い。
僕のこの感覚が他の人とどれほど同じなのか、どれほど違うのかというのが分からない。
分からないからこそ、その相対的な距離が欲しい。
という訳で、もしこの感覚に共感できる人がいたら是非コメントして欲しい。割と全員が持っているなら全員が持っていると教えて欲しい。
他人の目が常に気になっている小心者の僕にとって、自分が社会のどの位置にいるのか分からないというのは非常に怖い。
僕がこうしてこの考えを書いているのも、上述の感覚をあまり文章で見たことがないからで、だからこそ推論的にこの感覚は少数派なのだろうと考えたに過ぎない。「この景色が綺麗」だとか「この空気感が良い」だとか枕草子だとかそういったものはよく見る訳だが、それと「空間が好き」というのは別の話だ。そういう意味で僕はこの手の話をあまり聞いたことが無い。
したがって、もしこれがみんなが当たり前に思っていて、もはや口にするほどでもないから目につかないのだとすると、僕は非常に恥ずかしいことをしていることになる。
もしそうだった時は、是非ともこの記事を笑ってもらい、そして普段口にしないその思いをTwitterでも良いので呟いてほしい。
そしたらインターネットも少しは見るに堪えるものになるに違いない。


言い訳がましいことをウダウダと書いたせいで、かなり長い日記になってしまった。
今後はなんとか3000字前後に抑えられるように頑張っていきたい。3000という数字に根拠はないが。

それでは。

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