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クリスチャンで辛い気分

聖書を読むと人間が2000年前からほとんど変わらない事がよく分かる。

聖書にはある意味、これを守る事で〇〇に成らずに済むよ、と言う感じのセーフモードな格言やメッセージが沢山詰まって居る。

けれども、アタイは思うにあれは強者目線で描かれているから、弱者を救うようで居て、時に正論で人間を潰す内容であったり、弱者の気持ちは記されて居ないから、強者であり正しく生きる事、失敗しない生き方の助長にも感じる。

それ故に永続的に地球の各地で自己顕示欲の最たる戦争が起こり続けるのでは無いかと、アタイは考えてしまう。
(加えて偏った法制度…最近だとアメリカの堕胎禁止)

そもそも人間に強弱の差は無いと思うが、生まれた地域や身体の状態、性別により生活面での大変さが異なる。

日本で日本人の女性として生まれ育ち、後天的にアタイは精神障害者となった。

日本は社会保障制度が優れているので、アタイみたいに働けない人間もセーフティネットにより、生きる事が可能である。

しかし、病者目線の法制度は限りなく少ない。

今は少しづつ子育て世代へ優しくなって来た。
(まだまだ足りない部分はあるけれども)

今は性別や結婚への意識の変化も生まれて来た。
(まだまだ変わらない部分はあるけれども)

今は障害者でも働く場所が得られる様になり始めた。
…でも、これはあくまで一部への動き出し。

障害者の生き難い生活はあまり変わりない。

聴覚や視覚障害者にはある程度の法制度がある。
(まだまだ足りない部分あるけれども)

発達障害や吃音症に対する支援制度も増えて来た。
(まだまだ変わらない部分多いけれども)

女性の障害者の性被害への意識改革(勿論男性に対しても)、知的障害等により心の表出や物事を学べない現状からによる問題で自身が何らかの被害にあって居る事を表出する事への意識改革や学びによる被害を防ぐ又は被害の報告方法の改革も起こり始めている。

高齢者への福祉政策や最期の時間をどう過ごすかへの意識改革も進んでいる。

しかし、精神障害者の法制度からの抜け落ち度はほとんど変わらない。

アタイは恵まれていると理解はしている。
それでも、しんどさの限界から〇〇をどうにかする方法はありませんか?
と、SOSを市役所等に出しても、普通の障害者に該当する支援制度はありません。
で、終わってしまうのだ。
(これが現実)

生きよと言われても、アタイは消えたくなるのだ。
だって辛いんだもん。
しんどさに救いが無いんだもん。

年々当たり前に歳を重ねて身体の不自由さは増す。
当たり前に病気にも罹患する。
元々の疾患にそれ等が加わるのでかなり大変。

しかし、自己責任の世界で家族主体の世界。
アタイみたいな身寄り無き中途半端な年齢の独り身の精神障害者には優しい世界では無い。

生き難いったらありゃしない。

人間が40歳位の寿命で本当にいい塩梅だと思ってしまう。

そろそろ終わりにして欲しいと、思ってしまう。

それでも、神の為にと生かされている今に感謝をし、捧げる献金と救いの無い生活に出来る事を残された脳みそで考えを巡らす日々。

多分、アタイは今、かなり調子がいい時期のはずなのに裏切られたかの様に体調不良が続き、精神面でも辛さがあっても希死念慮の塊で向精神薬等に溺れていた時期よりはマシだからと診られる故の生き難さから、身体の痛みから逃げたいのもあり、生活の困難さに苦しみを覚えるあまりに、苛立ちだとかを通り越して、ただただ言葉の羅列をしているのだ。

どうやったら何も考えずに生きられる?
どうやったら何もせずに生きられる?
どうやったら生きる事を止められる?

日本は素晴らしい国。
日本人でよかった。
つくづく思う。

でも、長寿が大切過ぎて死が許されなさ過ぎて、アタイには辛い。

神が許したもうなら、どうかアタイを消して欲しい。
日本にも安楽死を保険適用でせめて認めて下さい。
神様お願いします。

憎まれっ子世に憚るを覆してください。
(憎まれっ子とはアタイの事)
それが今日一番のアタイの祈り。

昨日の精神科受診でパグラブ先生は自分の為に生きなさいと仰って下さった。
(母からの先日の手紙へアタイの考えを伝えた所)

先生
アタイ、気付いたのですが、38年間
(乙女座の時期には39年になる)
自身の為に生きた記憶があまりに乏しくて、そして刷り込まれた他者第一主義と思考により、どう自分の為に生きたら良いか、SOSを出しても救われない日常でどう生きたら良いか、分かりませんです。

サスティナブルな地球に配慮した生活や動物に配慮した食生活を求められても、今の生活水準状況ではかなり困難さを極めます。

アタイはこの世に生きていて良いのでしょうか。
その自信はありません。

今日は昨日、病院2箇所に買出しとコインランドリーへ行き、10時間程外出し、合計2時間以上は歩いて居たので疲労感が取れておりません。

その為に精神面が身体的疲労感に引っ張られてしんどさを極めてしまい、糾弾すべきでは無いクリスチャンとしての聖書に対する事、沢山助けて頂いてる日常生活への今への暴徒化した言葉を羅列してしまいました。

ここまでお読み頂き有難う御座いました。
気分を害されましたら、お詫び申し上げます。
どうぞ下弦の月に見守られながら今夜が穏やかに過ぎ行く事を祈ります。
あなた様にとって明日が素晴らしい一日であります様に祈りを込めて。
おやすみなさい( ˘ω˘ )zzz

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