悔しいから、力に変える

”人それぞれ”

何だってそう言ってしまえば、それまでなのだ。

その言葉で何かの話や議論にピリオドが付いてしまうから、僕はその表現があまり好きではない。でも、事実この世の中には何十億の人がいて、それぞれが生まれ育った背景があって、価値観があって、出来事があって、それらを上に、今、この瞬間を生きている。

人それぞれ、というのは、紛れも無い事実。みんな、いろいろあるのよ。生きることって、めんどくさい。

だからこそ、人を馬鹿にしたり、人を下に見るようなことはあってはならない。スポーツで結果が出せないこと、勉強で成績が取れないこと、仕事がうまくいかないこと、同じ間違いを繰り返してしまうこと。確かに、努力不足という理由でそれらの結果が出てしまうこともあるだろう。しかし、毎回が毎回、努力不足が原因とは限らない。いくら努力したって、ある一瞬の運次第で運命や結果なんていくらでも変わってしまう。その日のコンディションがあって、最近のメンタルがあって、環境があって。それら他のものにも影響されて、物事の結果というものは生まれる。

そんなことを言っても、そこまで考慮して”人”を見てくれないことの方が多い。とある人の失敗があっても、それがあたかもダサいように捉えられてしまう。まあ実際、それはダサいのかもしれない。いや、事実、ダサい。それは本人が一番わかっていること。ただ、そのことを改めて他人から言われてしまうと、さすがに腹がたつ。人間だから、腹がたつ。でも、人間関係だから、その怒りを表に出すようなことはしない。出してもいいけど、出したらさらにダサい。出したら、今度は見えないところで馬鹿にされる。だから、馬鹿にされても何とかかんとかかわして、笑ってごまかす。

ほんと、生きるのってめんどくさい。

じゃあ努力して結果出せよと、そういう声もきっとある。その意見は、正しい。馬鹿にされないようなことをすればいいという、それまでのこと。

でもそれは当たり前だよ。結果出さないといけないのは世の中に出たら当たり前のことで、少し前にはそれに生死がちょっと関わっていただけの話。もちろん結果が出るように自分を改善して、さらに努力して、運も味方にできるように毎日善を貯めるのさ。

ただ、

失敗や負の結果でもって、その人を下に見るような社会にはなってほしく無い。これから生きていく社会がそんな社会なら、僕は生きづらくて仕方がない。結果に満足いかないことなんてザラにあって、そこで悔しさを一番よく感じて知っているのは本人であって。それだけでも心が苦しいというか、悲しいというか。それなのにそこに誰かから馬鹿にされて追い討ちを食らったとしたら、誰が幸せになろうか。少なくとも、人に下に見られるような態度を取られた人は、幸せにはならないだろう。悔しさが倍になるだけ。

もっと優しい言葉や思いやりで溢れる世界になればいいのに。

***

今僕は、とても悔しい。表には出さないけど、とても悔しい。でも、悔しさって、チャンスだ。悔しいから力になって、力が努力になって、努力が何かかしらの結果に結びつく。だから、しばらくこの悔しさは忘れない。とりあえずこの一年は、この悔しさを力にする。

でもそれと同時に、自分のやさしさを忘れてはいけない。

やさしさでもって、しなやかに生きていきていかなければならない。

そうでないと、また誰かを下に見てしまって、嫌な思いをする人が増えてしまう。


そうやって自分の周りから、いい世界を作っていく。変わるか変わらないかは別として、みんなが共に歩んでいけるような、そんな世界を作っていく。

綺麗事ではなくて、僕は真面目にそう言っているよ。


さてさて、今日もしなやかに生きていく。

2020.2.10
おけいこさん

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