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紛らわしいヒトデ

 落ち葉だらけの道はある存在の登場を明確に知らせる。真夜中に順路のない山を彷徨う登山者には、落ち葉の音だけが唯一の道しるべだった。進むべき道を教えてくれるのではなかったが、少なくとも行ってはいけない道を教えてくれたので。今も正にそうだった。登山者の背後からしきりにカサカサと音が聞こえる。カサカサだけではない。カサカサカサカサカサカサ。普通の人間とは思えないほどカサカサが多かった。歩くスピードが非常に速い。いや、これはもはや歩きではなかった。これは、転がりだった。あの未知の存在は登山者の後ろで転がっていた。ごろごろごろごろごろごろ。カサカサごろごろ。 カサごろカサごろ。大騒ぎをしていたあの存在は、登山者の直ぐ背後で動きを止めた。 
 「そこのキミ、道に迷っているのかい?」
 「そこのキミ、ここが初めてなのかい?」
 「そこのキミ、見当がつかないのかい?」
 「そこのキミ、下山したいのかい?」
 「そこのキミ、何も知らないのかい?」
 「そこのキミ、今恐怖におののいているのかい?」
 「そこのキミ、助けを求めているのかい?」
 声は皆同じだったが、人格は違った。本能的にその微妙さに気づいた登山者は思わず後ろを振り向いた。そこにはヒトデがいた。脚、と称していいのかわからない五つの尖ったそれには口がついていた。人間の口のような形だった。腹、と称していいのかわからない体の真ん中にも口がついていた。口だらけのヒトデが六組の口元を奇怪にひねったまま、笑っていた。そのうちの一つの口が言った。 
 「キミが今進んでいる道は正解ではない。あそこに見える大きな木の横の道に行かなければならない」
 すると、他の口がびっくりして、それぞれ叫んだ。声は同じだったが、それぞれの奇怪さを抱いていた。 
 「何を言ってるんだ! コイツを信じてはいけないぞ。いつも嘘ばかりつくからさ。この岩の下に降りたまえ。そこに行かなければ下山できない」
「とんでもない話だ。岩の下には断崖があるんだぞ。死にたくなければ、向こうの五番目の木の間の道へ行ったほうがいい」
「いや、あの間の道の先は存在しない。永遠にこの山の中で迷いたくなければ、来た道を戻ったほうがいいぞ」
「は?来た道は今山火事のせいで火の海なんだ! 生きたければ前だけ見て進みなさい!走れ!」
「そんなはずないじゃないか。そうしないで、この場で朝になるまで待ったほうが良いだろう」
 出所の分からない言葉が登山者の頭の中を混乱させた。無知な者に主体性というものが存在するはずもないので、登山者はすべての口の言葉に一理があると思った。会話が通じる相手と対話を試みようとする態度は、人間が持っている本能の中で最も偉大であると同時に愚かなもので、登山者は恐れもなくヒトデに声をかけた。 
 「つまり、誰の話を信じればいいんだ?」
 「もちろん、コッチだよ」
 同じ声を持った六個の口が一斉にそう言った。価値判断のできない者の判断とは実に安逸なものなため、登山者は結局口々の言葉を無視して本人の決心どおりに足を動かした。本人を信じたというよりは口を信用していないほうに近かった。主体的な考えの下で行う行動ではなく、消去法的に次悪を選択する行動が正しいのかは今の登山者としては知るわけがなかったが、登山者が選択できる方法はこれしかなかった。ヒトデから目を向けたまま、元々進もうとしていた左側の道へ足を運ぶ瞬間、登山者の背後からまた不気味な笑い声が聞こえてきた。ある口が笑い交じりの口調で言った。 
 「その道は間違っている。もし何か問題が起こったら、その時はまたコッチの言うことに従ってもらうぞ」
 その時、後ろを向いて誰がその話をしたのか確認すべきだったのか、自分の主張に固執して進んでいる登山者としては知る由もない。


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